お鹿さん

 

 

 

 お鹿さんと最初に出会ったのは私が小学校5年生で珠算塾に通っていたら、お堂の石段に座って弁当を食べてる姿を見た時でした。当時(昭和30年頃)日本は敗戦から立ち直り始めで、食べ物もたいしたものもない時期だったのですが、お鹿さんはどこかの料理屋さんでもらったんだろうか、赤飯と天ぷらをおいしそうにに食べていました。ちょっとうらやましいかったのが印象的でした。今でこそホームレスの人は珍しくありませんが、当時は珍しく、お鹿さんは高梁・成羽の有名人でした。時が過ぎ私が30才で高梁に帰省した時、偶然お鹿さんに会い、一輪車で廃品回収している姿が目に焼き付き、それからお鹿さんを描き始めました。親しくなってしゃべり始めると、お鹿さんは「自分は女学校を出て19才の時に見合いをし、先方が大変気に入り、その時将来について色々話をしました。子供は3人位欲しいとか、先々はこうして欲しいと注文があったけど、先の事はわかりませんと断った。」それから、家を出、お堂や空き家の軒下で生活し、暗くなると眠り、朝明るくなると目を覚まし、自然と一緒に生活をしてきた。だから、風邪もひいた事がないと自慢していた。今の老人はだらしない。ちょっと体の調子が悪いとすぐ医者にかかると、批判めいた事も云ってました。帰省する都度、お鹿さんに会うと、「あんさん、江戸はどうかな?」といつも聞かれ、「お鹿さん今は東京だよ」と云っても、江戸としか云いませんでした。「お鹿さん困ったら、わしの実家に行き、何か食べさせてもらってくれ」と云って上京すると、毎日実家に食べに来たそうです。母は困り「お前、いいかげんにしてくれ」と私を叱りました。今、お鹿さんは78才で老人ホームで亡くなり、道源寺のお墓で永眠されています。

 

 

 

     

 

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