ジャニーズファンに対して、暴言ととれる箇所があります。
関ジャニ8ファンである以前にジャニーズファンであると言う方は読まない方が、
精神衛生上よろしいと思われます。
上記文を読んだ上で以降の文を読まれた方のクレームは受け付けません。
予めご了承下さい。























多くのバンドやユニットにおけるボーカルが一人なのは、その一人によって歌という意味上での世界が表現しきれるからだ。
その世界には、そのボーカルしか必要ない。
ボーカルが複数いるということは、異なる声が重なることによる効果で歌に厚みを出すことを目的としているとみて間違いないだろう。
一曲の高みを極めようとする、それが「アーティスト」と呼ばれる所以なのかもしれない。



「歌も聴かずにCDを予約するのは、その歌ではなくて歌っている人が好きだからだ」
数年前、そう言ったのは弟だ。
私は弟に反論した。
弟が言っていることは間違ってはいないが、決して正解ではない。
作詞作曲も手がける歌い手やバンド等が好きならば、音楽性が一緒で、そこの世界観が好きだということで、その人達にしか表現できない歌を好きだということ。
歌も聴かずに、そのCDを手に入れようとしてもおかしくはないはずだ。
オールプロデュースでない場合でも、提供された歌を歌いこなせる実力があれば、それはその人のカラーの曲となる。
そういった点で私は弟に反論した。
弟はそれを理解していたが、彼は歌の背景のことは考えずに“歌”という面だけを強く見ていたかったようだ。
ただ、ジャニーズだとかアイドルと呼ばれる歌い手(当時そう呼ばれるのはジャニーズくらいのものだったが)に関しては2人とも何も触れなかった。

私はジャニーズに歌の面では期待していなかったのだと思う。
確かに歌の上手い人がいるが、その上手さもアクセント的に使われていて、全員で歌うことによってその上手さが普通というレベルに引き下げられる、そんな歌をお金を出して買わせようとするのはどうなのだろう、と正直思っていた。
決して難しい譜面ではないだろう。
それでも、上手い人が歌えば表情豊かなものになるはずなのに、歌が上手い人が所属しているのに、“歌”を売っているのに、どうしてそうしないのか、歌唱力を前面に押し出してこないのか本当に不思議だった。
私と、そのCDを購入する人達とでは考え方も求めるものも違ったのだが、その当時、聞くならともかく買うことなんてことは考えもしなかった。

それがどうして、こうなったのだろうか。
舞台が見たいからと手にした一枚のチケットで得たものは。

皆が歌が上手いわけではない、ダンスにしても演技にしてもそれは同じ。
楽器を演奏するといっても、それ一本で食べていけるレベルではないだろう。
荒削りだし途中でグダグダになったと思えば勢いで押し通すこともあるし、観客を放って身内受けに走ったりもする。
それを知っていてもわかっていても、どうしても彼らに惹かれてしまうのだ。
それは“好き”である以外の何でもない。
日常に溢れているその言葉だが、それは魂だとか細胞のレベルではかられるものだ。
これまでの時間を積み重ねた自分の身体が求めたものなのだ。

幼い頃ピアノを習っていた従姉妹は、黒夢の解散を悲しんでいたし、
小学校の音楽クラブに入っていた私は、ここ数年夏と冬は松竹座に通っている。
高校で吹奏楽部に入った弟は先のようなことを言い、
現在ギターとベースを弾く従兄弟はマーシー氏を尊敬し、音楽の道を目指している。
確実に同じ血を引き、今に至る道の何処かで音楽に触れていても、個体と分かたれている以上は当然の様に好む音楽は異なってくる。
それぞれに譲れないものが絶対にある。
素晴らしい声の持ち主で、絶対音感を持っていて、技巧を駆使して歌って、国内外で多大な評価を受けている、そういった歌も素敵だと思うが、私が聴きたいのは欲しいのは関ジャニ8の歌なのだ。
アートだとかエンタティメントだとかジャニーズだとか、そんなの関係なく。
誰にでもそういったものが必ずある。
それが、関ジャニ8であったこと、彼らと出会えたことを、私はとても幸せに思う。

と、それはそれで良いことなのだが、それに伴って困ったことが起きた。
歌に不自由することになったのだ。
関ジャニ8に限らず、どんなにオリジナル曲を持っていようがジュニアである以上は(一部除く)CDが発売されていない。
彼らの歌を、歌だけを完璧な形で聴くことができない。
クリアーな音でフルコーラス聴けるなどということは、夢のまた夢だということを知った。
年末年始も、ハレもケも関係なくCDが発売されるこの現代、インディーズシーンのCDだって専門店で買えるというこの時代に、歌に不自由することになろうとは思ってもいなかった。
好きな歌が好きな時に聴ける、それが当たり前のことではなかった。
CDの購入数は一気に落ちた。
CDショップに行く機会も激減し、お世話になった店長さんの異動すら数ヶ月後になって知った。
一枚のCDに憧れた。
豪華ブックレットだとか封入特典だとか、盤によって変わるジャケットだとか、そんなものはいらない。
ジャケット写真さえなくてもいい、CD本体と歌詞カードさえあればそれで満足とまで思うようになった。
だから今回のCD発売を聞いた時は本当に嬉しかった。

去年の9月以降、覚悟だけはしてきた。
いつ何が起きてもなるだけ大きなショックを受けないように、その時にはこうなっても仕方ないよと自分を慰めることができる位に衝撃をとどめらるよう、覚悟だけはしてきた。
8人揃っての公録だとか、全国枠での番組開始だとかイベントに参加だとか。
彼らの露出が増えるのを喜んでいても、裏に何かあるのではないだろうかと、今の活躍が何かの踏み台にされるのではないかと不安になった。
彼らの活動を心から喜べなくなっていた。
そうなってしまったのが悲しかった。
それは今でも続いているのだけれども、CD発売はとにかく嬉しかったのだ。

物事における価値観も基準も変わる現在、山や河すらも姿形を変えるこの世の中、半永久的な記録媒体に彼らの歌が在り続ける。
それがどれだけ嬉しいことか。
たった2曲でも、好きなだけ彼らの歌が聴けるということがどれだけ嬉しいか。
松竹座ロビーでの通販受付に置かれていた荒い粒子のジャケット写真。
8人の顔写真、彼らの名前がクレジットされたジャケット。
そんな当たり前かもしれないことを実際目にした時、それをどれだけ待ち望んでいたか理解した。
私が彼らを知ってから、私の中でも価値観や基準の大きな変化が起こっていたのだ。
その変化は私に成長をもたらすものかもしれないし、逆に視野を狭くさせるものなのかもしれない。
それでも、それでもやはり、彼らを知ることが出来た私は最高だと思う。
そして、どうか叶うのならば、彼らをもっと日常で感じたいと思う。
そう、願っている。




2004.08.25