私と陽明学と林田明大氏

松下英雄

一、出 会 い


あれは、3年前のある日、「ペンギン」という手頃で明朗会計の「小料理屋」で始まった。私と仕事の関係のあるA氏と飲み歩いて、「ペンギン」に立寄った時、店の客席には、先客が1名いただけで、ほかに誰もいなかった。 カウンターの中には、私の同級生のマリちゃんと、お姉さんがいました。この店の空間に今後の私の生き方に重要な意味をもつ「出会い」があるとは夢にも思いませんでした。店に入った時には私もA氏もかなりお酒も入っていて、お互い話に弾んでいました。その時何を話していたかわかりませんが、マリちゃんともう一人の客が、何か話していました。服装は、このあたりでは見かけない様相だった。しばらくすると、何かのきっかけで話をするようになりました。よくよく聞きますと「山田方谷取材にここ高梁に来られたとの事でした。私は、「山田方谷」と云う名前は小さいときから耳にしていましたが知識としては、皆無でした。そうこうしているうちに「人の生き方」について、色々話をしたような記憶があります。もうそのころはお酒もかなり進んでいて「この人は、いい人だなあ」と気付くくらいでした。そして、次の日、私は仕事が休みであったため近隣の私のおすすめ出来る場所へ案内する約束をしました。高梁の「ビジネスホテル」の門限も早く、お互い「おひらき」としました。A氏と店を出た時、彼は「松下さん、あの人は服装及び話し方から、詐欺師かもしれないから用心したほうがいいですよ」の忠告を受け、お互い帰路についた。そして、次の日、前日の深酒で失礼ながら約束の時間に目を覚まし、あわてて顔を洗うのも適当にし、約束の場所へ車で向かった。彼に大変迷惑かけたことを私は恥じた。しかし、彼は怒るでもなく車に同乗し、ドライブを開始した。行き先は、昔銅山で栄えた吹屋の「広兼邸(映画「八つ墓村」の舞台になった建物)」、ベンガラ作りの町並み、坂本にある国領「西江邸」、川上町の「マンガ美術館」、高梁へ帰って、「正蓮寺」、小堀遠州の庭園で有名な「頼久寺」、そして、山のてっぺんにある「備中松山城」を見学し帰路についた。車の中で、千葉の学校改革の話が今でも印象に残っています。その夜、再び「ペンギン」にて、酒を酌み交わした。その時、著書を2冊見せていただいた。確か一冊は、「真説・陽明学入門」もう一冊が、「雀鬼と陽明」であったと思います。その時、作家の林田明大氏であることを聞きました。それで、再会を約束し別れました。

 

二、「真説・陽明学入門」


 出会いから数日して、林田さんから「真説・陽明学入門」と「雀鬼と陽明」の本を送っていただきました。早速「真説・陽明学入門」を読ませていただきました。出会いの時の会話を思い出しながら読んでいくと、 第2部「陽明学の思想」に深く感動しました。「人間いかにして生きるべきか」の私にとっての重要なヒントが込められていた事に本当に感謝しました。第1部の「王陽明の生涯」第3部「日本陽明学派の系譜」も第2部の具体例として重要な役割を果たしているものと感激しました。わかりやすく、例を上げながらの書き方に、今までにない感動を憶えました。生きていく根元をこれほどまで簡略にまとめ上げられて、「さてあなたはどのように生きますか」と聞かれるようでした。今まで四十何年間生きてきましたが、人間の生き方の根底にある思想と云う確固たるものがなく、悩んだ時期と本を読んだ時が交差していたように思います。 「心即理」「知行合一」「致良知」生きる為の方程式が見つかった気持ちがしました。


三、「財政の巨人」山田方谷

高梁で生まれ、高梁で育ったのに、山田方谷を名前しか知らない。地元でも、「陽明学者山田方谷」と呼ぶのだけれど、今思えば業績のみの評価だけで、その思想についてふれあう機会が皆無であった。その後の林田さんとのおつき合いから、たとえば、私の友人との交流(林田さんを囲む会)、市制四十周年の講演会、商工会議所での講演会、中学校での講演会と色々お世話になり、高梁にも陽明学に興味をもつ人が出てきたように思います。山田方谷の思想を、林田さんが高梁に蘇らしたのだと私は確信しています。郷土の学校教育の中に取り組んで欲しい教材だと思います。


四、林田書簡


 林田さんが、高梁へ2度目に来られたときに、初日に高梁及び岡山の私の友人とその友人の知り合いとで、例の「ペンギン」で交流しみんな陽明学の話に感動したのだが、翌日その交流会のメンバー1人のところへ林田さんが訪問した事について、後になって林田さんからFAXで知りました。

 『Bさんのお店へ伺いました。私の突然の訪問を喜んで頂けたのでしょう。話には花が咲きました。片腕を無くし、子供達のサッカーの指導を始められたご友人の身の上話を聞かせて頂きました。ちょうど私が伺ったおりにお店にいらっしゃったのです、その方が帰られられてからの話です。あるいは、ご自身の身の上話も。サラリーマン時代に大病に掛かって、戦友ともいえる同僚も含め会社側の対応のあまりの冷たさに、企業戦士として生きてきた自らの半生への疑問が表出し、田舎へ帰ることを決意され、そして喫茶店を開業されたこと、など。その点では、私も大いに勉強させて頂きました。人の生きざま体験こそが、多くの本質的なことを真実を教えてくれるものです。ですがBさんにとりましても「実践」ということが問題なのです。もちろんBさんに限りません、私にとっても同じなのです。自分の境遇が良くても悪くても、良すぎても悪すぎても、どちらにせよ、酔ってしまう場合があります。言い換えれば飲まれる、ということです。俺は凄いんだ、で酔ってしまう、あるいは、私ってなんて可哀想なんだろう、で、自己憐憫の末に酔ってしまう。どちらも、前向きの力にかけていきます。酔うということは、覚醒から遠のくことです。目覚めから遠のくことです。「陽明学」でも、「雀鬼流」でも、常に、
気づきへ気づきへと、自らをかりたてなければならないというのに…。酔ってしまうことは、感性が鈍くなってしまうことです。私のように、言葉を駆使しなければならない仕事の場合、言葉に酔うということにも、気を使わなければなりません。桜井会長に言われたことは、「先生、知識に酔ってしまってはいけないよ」ということでした。知識に酔うと、その知識を欲しがる人々の中だけ通用する話に終始して、知識のない人たちとの間に分裂を作ってしまう、というのです。「学歴社会というのは、知識に酔っているんですよ」との桜井会長のコメントには、ハッと目が覚める思いでした。「この社会は知識偏重だ」などと小難しくいわなくても、何とも分かり易い説明なんですね。
話を元に戻しましょう、朝食ぬきでしたから、お昼を何処かで軽くとろうと思っていました。おなかがすきましたので、サンドイッチか何かはあるだろうとメニューを見せて頂き、カレー(だったと思います)という文字が目に入りましたので、注文しました。
「そんなものうちで食べないで、ちゃんとした所で食べてください」
という内容の返事が返ってきました。たぶん、メニューに載っているけれど、もう作っていないのでしょう。
実は、アイス・コーヒーを注文して、飲んでいたのですが、これが(こんなまずいアイス・コーヒーを飲まされたのは、生まれて初めてだ!)という代物でした。コーヒーとはいえ、紅茶よりも薄い濃さです。コーヒー色した砂糖水という雰囲気でした。
私は、これまで様々なアルバイトを経験してきました。その中で、もっとも長く続いたのが、もともとコーヒー大好きでしたから、コーヒー専門店でした。スナックのカウンター助手、喫茶店のホールを皮切りに、コーヒー専門店のブームでしたので、コーヒー専門店に鞍替えして、アルバイトの中で仕事を覚えました。
専門学校に通っていましたのでお店に拘束されるわけにはいきません、時間的にはアルバイトのままという条件で、店長を任されるようになっていました。紅茶も含めて、コーヒーのことでしたら、今でもお金の取れる腕前を自負しています。軽食、例えばサンドイッチや、スパゲティ、オムレツ、ピラフ、パフェ、クレープなどは、さんざん作ってきました。ですから、言えるんですが、喫茶店である以上、お金のとれるものをきちんと作ってお客に提供するべきなのです。お金を取る以上プロなのです。Bさんには、プロ意識が欠けています。手抜き、職務怠慢のしわ寄せがお客にもたらされているのです。お客イクオール友達ですから、そこが見えなくなっているのです。甘えが出ているのです。どころか、甘え過ぎなのです。喫茶店を標榜する以上、高梁市で一番おいしいコーヒー、紅茶を出すお店、お客に喜ばれる店作りを心掛けて欲しいのです。Bさんは、とてもほんを読む方です。ですが、知と行が分裂しているのです。ご自身の本業は何なのか、の自覚から、始められるべきであり、本業がきちんとしていてはじめてお客様への能書きが垂れるのです。堂々と、理想論を述べられるのです。友達に甘えないで、喫茶Bを一人前にするという工夫と努力、このことを通じて多くの事を学ぶ事が出来るはずです。さすがに、御代わりは言えませんでした。トマト・ジュースにさせてもらいました。東京のお客でしたら、二度と入れませんし、怒るお客もいるはずです。それは、Bさんが御存知のはずなのです。このことも、「気づき」があるかないか、なのです。気づかない人は、一生、気づかないでしょう。目覚めて欲しいものです。』
 FAXを読み終えて、その時、私は正直驚きました。そしてその時、B氏の側に立ち、こんな人がこの世の中に1人いたっておかしくはないのではないかと林田さんに回答しましたが、なかなか通じませんでした。そこで、毎日そのことが、頭に残り具体的に私は何をすればいいのかという課題を背負った。とことんのめり込んで、B氏の考え方を変える努力をしようと思った。そして、毎日ぐらい喫茶店に通い、世間話などを通して糸口が見つかればと努力をしてみたが、何を考えているのか本当にわかりませんでした。ある日、政治経済の話をしていると、常識外の意見を感情的に話し出した時、私は、この件からは逃げてしまった。 高梁の知人に相談をし、林田さんからのFAXを承諾なしに見せたところ、その人も私の状況と同じでした。そこで、知人は岡山の知人に相談したらしい。
私は、そのころは喫茶店に通わなくなっていました。 後々になって、話を聞きましたところ、岡山の知人は、B氏に話をしたそうです。その後トイレがきれいになったとのことでした。喫茶店のトイレは、本当に汚かった。十数年掃除をしたことのないようなものでした。 そのトイレがきれいになったという話には、私は驚きました。岡山の知人の話で、B氏は何かを「気づき」生活の一部が変わった。 岡山の知人には、私としては、うらやましかった。私には、まだ苦労が足らないのだろうかと認識しました。 
そのB氏が、先日病死し、棺桶の中に、生前好きだった本、
「日本人らしい生き方」 (林田明大著)を入れて送り出した話を聞いたとき、何とも複雑な気持ちになりました。


五、FAX通信抜粋


 私は林田さんとの出会いから、FAX通信、手紙等の気になるところをカードに抽出し時々そのカードを眺め参考にしています。以下紹介させていただきます。

「スーパーの女」(伊丹十三監督映画)
面白いし、ためになる、さらに損得を価値観にして楽をしていい思いをしようと生きている人々と、苦しいけれど真心で生きようとする人々との対比が、とてもよく描かれていました。教育的にも、実にいい作品だったと思います。自分のことを優先させる生き方と、まずは他人のことを優先させる生き方と言い換えることが出来るのでしょうが、私欲を満足させる生き方では駄目なんだよと、訴えかけているように思えました。1996.12.23

「財政の巨人」
 一般的には、生涯と事跡だけで語り尽くしたと思われているようですが、現象と思想とは表裏一体です。思想を掘り下げながら表裏一体です。思想を掘り下げながら評伝を書くことが大事だと思うのです。1996.11.6

「真説・陽明学入門」の見方
 新しいものの見方を教えてくれるものです。
 これまでとは違った見方、考え方が可能になるのです。常識という色眼鏡をはずさない限り、人間としての成長はありえません。真の意味での心の充足はありえません。単なる古色な思想の解説者ではなく、現実にも大いに応用の効く、新しい生き方を提案させて頂いております。思想の解説は、学者に任せていればいいのですから。1996.5.20


「ぞんざいに生きることは」
 ぞんざいに生きることは、ぞんざいに生きるという修業をしているのです。ルーズに生きること、だらしなくいい加減に洗濯物を干すことは、だらしなくいい加減に生きるという修業を積んでいることになるのです。ということは、今をいい加減に生きるということは、いい加減に生きる修業をしているわけですから、未来は更にいい加減になってしまっている、ということなのです。1997.7.28

「熊沢蕃山」
 「憂きことの尚此の上に積もれかし、限りある身の力試さん」1998.2.14

「経営者が、人を育てない」
 経営者が、人を育てることをしないのです。
お金を出して、どこからか好い人をどうにか引っ張ってくることは考えますが、お金で動くくらいの人です、たかが知れているということに気づいていないのです。信用できるのは身内だけ、結局、そこに行き着くのですね。悲しむべき事です。1997.2.4

「思想は、自らの経験から生じる」
 思想は、自らの経験から生じ、あるいは自らの経験の裏打ちによって確立されてくるものだと思います。つまりは、誰かの口から出た言葉であっても、その言葉が自らの琴線にふれるなら、自分の人生哲学をあらわす言葉になるのです。自分の考えを言葉にする努力は、後輩たちを指導する意味でも、大事なことだと思います。1996.11.6

「自ら甘い場合」
 更に問題なのは、人に云うだけのことを云っておいて、自らに甘い場合です。そこには明らかに、思考と行動との、知と行との、思いと行動との、体と心の間に、分裂が見られます。本音と建て前があると言い換えてもいいでしょう。1996.7.17

「心構え」
 多くの人々は、テクニックに頼ることばかりを考えるあまり、心構えというものに目を向けることがないように思われます。心構えさえ、きちんと出来れば、ハウツーやテクニックなどに依存せずとも、雄々しく生きることが出来るのです。1996.8.20

「人としてまっとうに生きる」
 売上をあげたい、そのためには…、とああでもないこうでもないと考えるよりも、人としてまっとうに生きることが、自分のみならず他人をも喜ばせ幸せにすることである、と発想することの方が、大事な事のはずなのです。とは申せ、自分にも他人にも嘘をつかないないと言うのは、大変な修業です。嘘をつく人に愛を語る資格などないはずです。
1997.2.4

「人間、素直」
 年をとった分だけ、深みのある素敵な人間になっていなければならないのでしょうが、年だけとっても、工夫と努力を続けていない方は、成長どころか、堕落することもあるのです。人間、素直が、あるがままが一番なのです。わからないことは、誰かに教えてもらえばいいわけです。知らないことは恥ではありませんが、努力していないことは恥ずべき事です。1997.6.16

「他人に対する優しさ」
 他人に対する優しさが、イクオール、自分に対する甘さから出ている場合があります。自分に厳しく生きれないから、その分他人に対しても厳しいことを言えない、甘くなる、ということです。それは真の優しさでも何でもないのです。1996.7.17

「陽明学とは」
 陽明学とは、心を込めて生きる生き方の大切さについて教えてくれているのです。自分が大切、お金が大切、技術が大切などと思って生きている人たちへの警鐘なのです。
ですから、「行動が大事」というより、行動の根っこにあるところの「心が大事」なのです。1997.7.28


六 まとめ


 先日、岡山において、九大名誉教授日本の陽明学権威 岡田武彦先生の講演会に参加して印象に残った事があります。質疑応答の時、若い男性が、「先生生の声で、知行合一致良知について、説明してください。」先生は、「知行合一、致良知、の意味が分かりかけたのは、苦労を重ねて六十歳を過ぎてからのもので、言葉で説明出来るものではない。」と答えられました。私には、この質疑応答に大変感動しました。私にとって要するに、「真説・陽明学入門」のきっかけにより、ある程度の知識を得ることが出来ましたが、これはあくまで入門であり、本当の意味は、生活を通して自分で見つけてくださいと訴えているんではないかと。また林田さんとの出会いが幸いしたように感謝しています。「雀鬼と陽明」その他の著書についても、林田さんの陽明学の本当の意味を模索している作品だと最近は思うようになりました。