公平・公開・公営で備中松山藩のリストラを成功させる。
公の立場を貫いた政治家
山田方谷
リストラとは、本来、リストラクチャリング“事業再構築”を意味する言葉だ。経費節減、負債整理、産業振興… 今も昔も、さまざまな手法でリストラは行われてきた。歴史の中に手本となる人もたくさんいるはずだ。たとえば、山田方谷。 絶望的な負債を抱えた藩の財政をあずかり、「挙藩体制」によって、短期間で建て直しに成功した人。そして、最後まで金に屈しなかった政治家である。 |
方谷の人となり 事の始まりは、45歳の山田方谷が元締役兼吟味役に抜擢された事だった 元締役は藩の金銭出納を総括する職で、吟味役はその補佐役。つまり藩財政の一切をまかされるということだ。 当時、方谷は藩校の校長を務めていた。その教育者を突然“大蔵大臣”にするという藩主・板倉勝静の命令である。当の本人は青ざめ、藩の人々は驚愕然と混乱におちいった。ー部署の異なる人事というレベルではない。方谷は優れた学者として知られていたが、農商の身分から取り立てられた家臣。封建社会のなかで、代々仕えてきた武士を差し置いて藩政の中枢につくというのは考えられなかった。だが、藩主は譲らなかった。見識があり、身分や金で動くような人物ではないー方谷の人となりをよく知っていたからこその決断だった。 |
山田方谷(やまだ ほうこく) 備中松山藩の財政再建を成し遂げたことで知られている。文化2(1805)年、阿賀郡西方村(現高梁市中井町)に生まれる。名は球(きゅう)、通称は安五郎、号は方谷。幼い頃から聡明で「神童」と呼ばれた。朱子学のちに陽明学を学び、生涯を通じて多くの子弟を育てている。早くに藩主・板倉勝職(いたくら かつつね)に見いだされ、藩校に勤め、40歳で世継ぎの勝静(かつきよ)の教育者となる。勝静が藩主となったのち、藩政改革に大きく関与した。明治維新後は引退して、教育に専念し、明治10(1877)年72歳で逝去した。 |
山田方谷に見るリストラ@ 情報公開 10万両の借金と9千両の年間利子。5万石とされる松山藩の石高は、実際には2万石に満たない……。元締役についた方谷がみたものは、破産に瀕した藩の実体だった。いや、すでに破産した状況を外に隠しているだけなのだ。もはや体面を気にしている場合ではない。そう悟った方谷は、藩主の重臣たちに藩の情報を公開する決意をうちあけた。債権者にありのままの帳簿を見せて、協力を要請する。それしか松山藩が立ち直る道はないーと。 |
山田方谷に見るリストラA 債権棚上 元締役自らが出向いてきて、藩の内情をさらけ出す。このかつてない行動に、債権者である商人たちも度肝を抜かれたという。方谷の申し出をまとめると、以下のようであった。一時期10万両の借金を棚上にして藩の体制を立て直す。そのうえで新規事業に投資し、この利潤で借金を返済する。ー当時はまったく前例のない提案であったが、商人たちは全員一致で条件を飲むことになった。彼らが納得するだけの、具体的な返済計画をともなっていたのである。 |
山田方谷に見るリストラB 産業振興 商人たちを納得させた再建策の柱は、産業振興。地元でとれる良質の砂鉄を活かした鉄産業こそ、方谷の切り札だった。人口の80%以上が農業にたずさわっていた当時、農具の需要は供給をうわまっていた。そこに目を付けた方谷は、まず、地域産業である鉱山の開鉱に藩の直営事業として参入した。さらに製鉄、製品加工の大規模な工場を建設し、江戸という広大な市場で売りさばいていったのである。それらはすべて藩の直営で行い、中間マージンをカットするという現代に通じる販売戦略も実行されていた。設備投資を回収するまで、わずか3年。産物販売の利益は、借金を前倒して償却する勢いだった。 |
山田方谷に見るリストラC ガラス張り 方谷が公開したのは、藩の情報だけではなかった。財政を預かる元締役といえば、元来ワイロが集中する地位。どんなに受け取られないと言っていても、素直に信じられないのが人情である。そこで、方谷は自分の家の会計をすべて第3者に預けてしまった。これなら私腹をこやそうにもできない。政治家・方谷は金銭出納をガラス張りにした先駆者だったのである。さらに普段の生活も徹底していた。人と会うときは必ず第三者を同席させ、自分が会いに出かければ、どんなに勧められても室内にあがらなかったという。 |
山田方谷に見るリストラD |
方谷が財政改革に取りかかってから7年。備中松山藩は10万両の借金を返し、さらに10万両の貯金をつくるまでになっていた。厳しい改革の成果を知った方谷は、その豊かさを士民全員に還元したいと藩主に進言し、減税などが行われたという……。なぜ方谷はリストラに成功したのか。それは、“公のため”という姿勢を貫いたことに尽きる。公のための改革だから、金の力に屈せず、一歩外から冷静に判断ができた。方谷の貫いた姿勢を、今、見直す時期にきているのではないだろうか。 |
テレコムニース中国2.000.11 NO151抜粋