日本陽明学派の系譜
 

最初の日本の陽明学の開祖というのが、中江藤樹です。近江の人です。その高弟の熊沢蕃山というのがまた非常に有名な財政家です。要するに、財政・経済コンサルタントとしては当時日本では、ナンバーワンの人です。で、次に有名どころは、赤穂浪士の堀部安兵衛・弥兵衛親子の友人でありました、あるいは討ち入りを陰で応援した細井広沢という陽明学者がいます。あと赤穂浪士のメンバーに木村岡右衛門と吉田忠左衛門という、この忠左右衛門が一番年配ですから大石内蔵助の一番の片腕になりますけども、この2人が陽明学者です。幕末期にはいりますと、山田方谷よりちょっとさかのぼりますが、浦上玉堂(1745〜1820)という人がいます。岡山潘士ですが、そういう意味では山田方谷とは隣近所にいた陽明学者で、いまではミュージシャン、琴の演奏するミュージシャン・琴士として知られています。本職は琴士なんですけど、鴨方藩という支潘の大目付まで出世した人物で、あとは人生50歳を限りに脱藩しまして日本を放浪して生活をするという、琴士であり、なおかつ水墨画の画家としても知られています。川端康成がこの人の「東雲篩雪図」という水墨画をわざわざ買い求めて、それは国宝なんですが、ペンが進まないときにその水墨画の前に正座して、ずーっとその絵をながめていたという、そういういわくつきの絵なんです。川端康成記念館に玉堂68歳の時のこの作品「東雲篩雪図」は今でも保存してあるといいます。とにかく、この人はものすごく面白い陽明学者です。あと、もちろん、かの有名な大塩平八郎がおります。大阪に懐徳堂という実は、東の昌平黌と並び称される学校がありました。懐徳堂には、中井甃庵中井竹山という人が教えていまして、陽明学をやっていました。あと、もちろん江戸の昌平黌佐藤一斉という人がでてきますね。この人も陽明学です。当然山口県の方には、吉田松陰高杉晋作という人がおりますし、あと漢詩人で梁川星厳という京都で主に活躍した方がおります。そのほかみなさんがお好きな西郷隆盛という方がおります。もちろん西郷の盟友でした大久保利通も陽明学ですね。昭和では安岡正篤という人がおります。変わり種とでも申しますか、実は陽明学を勉強した人、学んだ人の中には三菱財閥の岩崎弥太郎伊藤忠商事の創始者の伊藤忠兵衛、それから藤田観光・同和鉱業のいわゆる藤田組の創始者の藤田伝三郎も陽明学を学んでいます。最近では作家の三島由紀夫も晩年約5年間ほど、やはり陽明学を学んだと言います。学んでいても、正しく理解しているということとは別問題ですので、その辺はお考え下さい。


                          林田明大講演録より抜粋

日本陽明学派の系譜については、「真説・陽明学」入門(三五館)に詳しく書かれてますので参考にして下さい。