揺れない心 

  例えば損・得というのは全部自分中心です。列車がホームに走ってきたら、それに向かってたいていの人がダーッと理由もなしに走り込むんですね。今、着いたばかりの電車に乗っちゃうと得した感じがするっていうだけで、理由もなく走り込んでって、もし、乗ろうとしたときパッとドアが閉まろうものなら、「ああ損した。」と「1本乗り遅れちゃた、ああ損した。」と思ってしまう。では、どうして走り込んでしまうのかと言いますと、電車が来たという外の刺激に対して、単に自分の心が負けてしまうわけです。本当いうと、1本乗り遅れたから電車の事故に遭わないで助かる人もいるわけですから、一方的に自分の価値観で1本早く乗ったから得したとか言えないんです。乗り遅れちゃったから損したとか、そんな発想で対外の人が、心が揺れて生きているということなんですね。外の刺激に対して自分の心がいつもそうやって単純に反応、過剰に反応するのは心が揺れているってことなのです。例えば、ここにいかにも強そうな人がいたとします。強ぶって見せる人がもし、麻雀の卓囲んでてもいいんですが、いたらですね、もうそこで心が揺れちゃうんですね。「ああ、強そうだなあ。」と実力も知らないうちから、強そうだなあと勝手に思うわけです。でも、本当は弱いかもしれないですね。麻雀、全然弱いかもしれないんですね。でも、たいがいの人はそういうふうに刺激によって心が揺れてしまうんです。もうそこで、勝負する前に、勝負がついちゃっているんですね。こういう事は、結構多くあるんです。つまり、自分で恐怖感を増幅してしまう、自分で不安感を増幅してしまうんですね。では、どうすればいいのかというと、 外の刺激に振り回されない強い心を育むことです。
テレビショッピング見たらですね、「ああ、欲しいな。」と、そのたびに買うのでなくて、その情報に刺激に自分の心が揺れないっていう状態に自分を持っていくべきなんです。そうしないとカード破産という状態にも、なっていきますから。やはり、自分の心を強くする、自分の心を鍛えるという工夫を日々しないといけない。育児ノイローゼになるのもそこなんです。心が弱いんです。桜井章一氏は、
「揺れない心」ということを、よくおっしゃいます。「私より公を優先させる心を持ち、人間性を磨くこと」が大事だとおっしゃってます。心が弱い人というのは、通常いろんなトラブルが、つらいことがありますよね、そういうことだからだいたい逃げちゃうんですね。
トラブルやつらいことから逃げまくっていると、心を鍛える暇はないんです。では、どうしてにげまくるかっていいますとさっき言いましたように、2つにわけて考えてしまう。幸福と不幸、つらいこと楽しいこと。で、楽しいことは欲しいけど、辛いことは要らない。それは、楽しいこととつらいことが別個に存在していると思うからですね。では、別の話に置き換えます。晴れと雨がありますよね。晴れの日は欲しいけど雨の日はいらない。まあ、お百姓以外はそうですね。お百姓さんだったら、雨の日も欲しいと思いますけど、でも、たいがいの人は雨が降ってやーねって。この間、子連れのお母さんが、道を歩いていて、子供が、「お母さん雨降ってて気持ちいいね。」って言うんですよね。お母さんは「何言ってるのあんた。」って怒るわけですよ。
そういう価値観があるわけです、現に。


林田明大講演録より