岡山大学美術部同窓会情報


【口上】
 
 大島蓼太は、世の中は三日見ぬ間に桜かな と詠みましたが、見慣れた風景の中で、世の中には30数年の時を経ても変わらないものがあるようにも思える今日この頃、岡山大学美術部OBのみなさまには、いかがおすごしでしょうか。
 
 さて、今年になって、時を異にして、3人の方から同窓会をやりたいというメッセージが届きました。それは年賀状だったり、直接訪ねてこられたり、インターネットメールだったり。
 これまでにも、そういう話がなかったわけではありませんが、みんな、やりたいなと言うだけで、誰も自分が率先して動いてまで実現したいといった、揺るぎない強い意思を持つまでには至らなかったようで、そうしたアイデアは、ことごとくうやむやなまま放置され、一度も計画が立案されることはありませんでした。
 思えば、美術部全体が一丸になって何かに取り組んだというのは、僕らが一年生の時の大学祭パレード用にハリボテを作って以後、絶えてないことであり、もともとみんな、安易にまとまるタイプじゃなかったようにも思えます。なのに、今頃になって同窓会をやりたいと言い出すということは、みんな歳を取って、無性に昔が懐かしくなり、つい美化した思い出の中の戻りたくなってきたのかなと感じています。それと同時に、いかにも年寄りらしいわがままが出てきはじめたのかなと。
 おそろしいことです。
 
 個人的なことを言えば、街で電車に乗ったりデパートに入って買い物をしたりするのと同じような感覚で大学にも入ったつもりでしたが、美術部だけはそういう日常とは少し異質な、少しだけ不思議な空間だったかも知れません。
 多分それは、勝手な思い込みか幻想なのでしょうが、それならそれとして、僕らの罪深く恥ずかしい時代を、お互いの思い出の中で都合良く微妙に修正し、まるで素晴らしい美術部だったかのようにこの際でっち上げてしまうのも悪くないかと考え、重い腰を上げることにしました。
 
 ついては、今回の同窓会については、あまり深刻には考えないで、連絡が取れる範囲で連絡を取り合い、適当な頃合いを見計らって、具体的な計画を立てたらどうかなと考えています。一部の方には、僕が思い出せる限りの名前を連ねた名簿をお届けし、加筆修正をお願いしました。名簿を送らせてもらったあとからも、ひとり、またひとりと、思い出したりしています。僕が入学した昭和42年と、翌43年に在籍した人たちを中心にリストアップしていますが、卒業した46年までに在籍した人までは参加者の範囲にしようかなと思っています。学生時代とは別人の、柔軟で優しい大人になりましたので、なるべくフレキシブルに対応する所存です。
 
 くじけることなく、何とか実現にこぎ着けたいと考えていますので、めでたく開催の運びとなった暁には、僕があのときどういったとか、どうしたとかいって暴れないように、どうぞよろしくお願いします。
 
 
    平成14年4月