何を描くか 何を描けばいいかと問われたら、迷うことなく、「自分が描きたいものを」と答えます。 では、描きたいものはあるけど、難しすぎて思うように描けない場合はどうしたらいいかと問われたら、「自分の能力でできるやり方で描けばいい」と答えます。無理はしないで、そのかわりのびのびと大胆に。 一番やめてほしいのは、おっかなびっくりでビクビクおずおずと筆を使うこと。線が狙いどおりに引けなくても、色がはみ出ても、筆遣いがのびのびとして生きていたら、それはそれで味になります。身の丈にあった手法で、恥じることなく描くことです。 だから、繰り返しますが、常に「描きたいものを描く」という肩の力を抜いた自然な心持ちが大切だと僕は思うのです。 ほとんどの場合僕は、目に見えるものを通して目に見えないものを表現したいと思って描いています。例えば、無人の初冬の荒涼とした河原を描くときは、普通だと峻厳な大自然の厳しさとか人間の孤独感とかを表現したいと思っています。モチーフが春の山であれば、希望とか生きる喜び、生命力のようなものがテーマだったりします。 でも、気にすることはありません。 そこまで深く考えないと絵を描く資格がないなんて考えてはいませんから。だって、作品は、小説であれ詩であれ、絵画であれフォークソングであれ、作品となった時点で作者の思惑から解き放たれ、一人歩きをはじめるものですから。発表された作品をどう観るかは、鑑賞する側の自由なのです。 高校生の時、僕は自分の制作意図に気付いてもらいたいという欲求が強くて、展覧会に出す作品には決まっていつも凝ったタイトルを付けていましたが、先生はそんな卑しい心理を見越して、「口で描くんじゃない」と簡明にして鋭い言葉で僕を戒めたものでした。言いたいこと、表現したいことはすべて、潔くキャンバスの中で表現しなさいと、そういうことでしょう。 そこらあたりの話に興味がある人は、一度じっくりと考えてみてもらったらいいのですが、よくわからないという人は、気にすることはありません。しつこく繰り返しますが、描きたいと思ったものを描きたいように描けばいいのですから。 よく、「描きたいんだけど、何を描いたらいいかわからない」という人がいます。その心理状態はわからなくもありません。僕も何度となくそういう気分を経験してますから。でも、その答えは自分で見つけるしかありません。そして、その気で探せば、絵のテーマは簡単に見つかります。「おっ、おもしろいかな」と思えるものは、どこにだってあるのです。 例えば、台所の隅に転がっている空き瓶たちだって、どこかに一列に並べてみるだけで、何かを感じますよ。創作心をくすぐられます。手に馴染んだコーヒーカップを、わざと小さな部屋の薄暗がりに置いてみるのもおもしろいでしょうし、その傍に平凡な花でも一輪横たえたり、そのときの気分でレモンを1個添えてみるというのもありでしょう。 もっと投げやりにいうなら、描くものがないというのであれば外にスケッチに出ればいいし、明るい時間帯に外に出る時間がないというのなら、手持ちの花瓶に花を投げ入れただけでモデルになります。花がないというのなら、花瓶だけでもいいのです。 要は、ちょっと気になったもの、つまり、描きたいと思ったものを描くことです。 |