- 今週のボードレール -


気がつけばボードレールが旅立った年になりました。
年をとるほど、その詩が胸にしみます。
テキストは角川書店発行のボードレール詩集 村上菊一郎訳 ソノシート付です。


 09月18日(日) 鳥のうた
きょうは敬老会でこどもたちが 校歌をうたっていた
今年度 で柴小学校もおしまいになります
うたそのものは HPのはじめに いれてあります
やまなみあおい しばのさと という歌詞の しばのさとの部分が
とりのうたのようだと きょう気がつきました
武満徹の遺作のエアーの旋律と近いものがあるとおもいました
武満徹もきっととりがすきで とりがうたうのを聞いていたのだとおもいます
校歌の次の歌詞は ことりとともに はばたいて です
いいうたです


 06月04日(土) 今週はアポリネール


 未来 
            アポリネール
   
しきわらをひろげよう
雪をながめよう
手紙を書こう
命令を待とう

恋人を思いながら
パイプをふかそう
堡塁はそこにある
薔薇の花をながめよう

泉は涸れてはいない
藁の黄金色も褪せてはいない
蜜蜂を眺めよう
そうして未来は思うまい

掌を眺めよう
掌は未来のように
雪であり 薔薇であり
そしてまた蜜蜂だ



今週は アポリネール
もし 希望というものがあるとすれば
こういう詩なのではないか
薔薇が リンゴの花でもいい
植物がとる最大の面積のかたちが 花である
そして人間も 最大の体積のかたちをとることができる
手のひらをひろげるように


 03月12日(土) 瞑想
瞑想 

おお わたしの苦悩よ おとなしくなって もっと落ちつくがいい
おまえは夕暮れを待ち望んでいた それはここにもう降りてきている
ある者には安らぎを またある者には愁いをもたらして
うす暗い大気は都会をつつんでいる

はかない人間どもの下賤の群れが
無慈悲な死刑執行人 快楽の鞭に追われて
卑しい祝宴の中に悔恨を拾い集めにゆくあいだに
わたしの苦悩よ わたしに手をかして こちらへおいで

彼らから遠く離れて ごらん 死んだ歳月は
時代遅れの着物を着て 空の露台にかがんでいる
未練はにこやかに笑いながら河の底から浮かんでくる

臨終の太陽は橋のアーチの下でまどろんでいる
そして東洋までたなびく長い屍衣のように
おきき いとしい心よ おきき やさしい夜のしのびよる気配を



こちらの ベンチのうしろの大きな木の根元には入り口がある


 01月20日(木) 敵


私の青春は、ここかしこ洩れ日の光が
よぎっている嵐の闇にすぎなかった
雷と雨にいためつけられ わたしの庭には
赤い果実がほんの僅かしか残っていない

こうしていま わたしは思想の秋に触れた
いまこそ 鍬や鋤を手にとって 濁流に
墓穴のような大きな穴を穿たれた洪水の土地を
あらためてまた耕さねばならない

しかし、誰が知ろう 私の夢みる新しい花々が
砂浜のように洗われたこの土壌のなかに
生い茂るべき神秘な糧を見出すかどうかを?

ーああ この苦しさ! この苦しさ! 時は生命を食らうのだ
姿も見せないこの敵は われらの心臓をむしばんで
生血をすすり たくましく育ってゆく




生血をすすった これ いったいどれほどの巨木なのか


 12月25日(土) 高翔
高翔

池を越え 谷を越え
山や森を越え 雲や海を越え
太陽のかなた エーテルのかなた
星くずのきらめく天球のはても過ぎ

私の精神よ おまえはすばやく動いてゆく
うっとりと波間に浮かぶ水泳の名手のように
形容しがたい男性的な快楽を感じながら おまえは
広々した無限の中に 欣然と水脈を引いてゆく

飛べ この病的な毒気を遠く離れて
行け 上層の風に身を浄めに
そして飲め 純粋な神酒のように
澄みきった虚空にみなぎる明るい火を

靄のこもった生存の上に重くのしかかる
あの倦怠やはてしもない悲哀を尻目に
光りかがやく晴朗な国原のほうへ突進する
たくましい翼を持つ身は なんというしあわせ

朝ごとに 心の想いが 揚げひばりのように
自由自在に 大空へ舞い上がり
ー 人生の上を飛びめぐって 花や無言の万物の
言葉をいともやすやすと理解できる身は なんという仕合わせ!




いつもLOWではあります。
来年もよろしく!


 10月20日(水) 楽しそうな死者
楽しそうな死者

かたつむりのむらがっているねばねばした土に
わたしは自分で深い穴を掘りたい そしてそこに
悠々と この年老いた骨を横たえ
波間に鮫が沈むように 忘却のなかで眠りたい

わたしは遺書が嫌いだ 墓もまた嫌いだ
死んだのちに人の涙を乞うよりは
生きたまま むしろ好んで鴉を招き
わたしの穢れた骨組みのあらゆる隅々を啄ませよう

おお うじ虫よ! 耳も目もない黒装束の友よ
ごらん 自由で楽しそうな死者が一人 訪ねてきたのだ
放蕩好きの哲学者 腐敗の子供 うじ虫よ

さあ わたしの遺骸を 何の遠慮もなく食い荒らして
わたしにいうがいい 死者たちの中に死んだ 魂のない
この老いの身に まだ何か悩みが残っているかどうかと!




火葬 土葬 風葬といろいろあるようだ
去年の夏ミツバチがスズメバチに襲われて結局逃げられてしまった
スズメバチは天敵 大人でも結構怖い
かたずけるのには虫取り網でつかまえて足で踏みつぶすのがいい
殺虫剤を使うと死骸はずっとそのままだけれども
網でとらえたものはあっというまに蟻がはこんでゆく
死後 なにものにも食い荒らされないというのは
実に恐ろしいことかもしれない・・・・
こうしてボードレールの死のかけらを食べているうじ虫のひとつとして
大切にいただこうとはおもっている。


 09月30日(木) 不運
不運

こんな重荷を持ち上げるには
シジフォスの勇気が必要だろう!
どんなに仕事にはげんでも
芸術は長く 時は短い

名高い墓地には見向きもせずに
人里離れた墓地のほうへと
わたしの心は 陰にこもった太鼓のように
葬送曲を鳴らしながら行く

ー数多の宝石は埋もれたまま
暗闇と忘却の中で眠っている
つるはしも測深器も届かないところに

ー数多の花々は 未練がましく
秘密のような甘い薫りを放っている
底深い静寂の中で




窯の名前をシジフォスにしています


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