言葉U   1998/03/01


大学医学部裏手の安アパートで
蝉の鳴き声を聞きながら抱き合っていた男女の周りには
いつのまにか
ふわふわとした幸せが立ちこめていた
 
あたたかな言葉を吐くと
自分が狡い気がして
寡黙でいると安らぐように感じた
だから彼らの言葉は
「明日も暑くなりそうね」とか
「お風呂の帰りに角のお寿司屋さんに寄ろうか」とか
 
未熟な愛撫のもたらすものが幻想だとも
底抜けの笑顔が あとで
無邪気な当惑を引きずってくるとも知らずに
 
いや
本当は薄々感づいていたのだ
ゲームが終わって
もう誰も残っていないことを
ここにいるのは帰りそびれた二人
 
このまま
ずっとこの部屋にいたいなら
ふたりがまだ見たこともないものを育てねばならない
 
 
いいことを教えよう
純粋で身勝手な愛を飼い慣らすために必要なものは
恥ずかしいほどの言葉だ
鉢植えのシクラメンに水をやるように
誠実な言葉を注がねばならない
いくら思いを込めても
ただ見つめているだけでは枯れるのだ
 
それは新しいゲームだ
 
 

 
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