吉田拓郎狂時代       1999/06/19
 
 
初めて聞いた彼の歌は、『人間なんて』。
当時フォークソングはアングラといわれたりして、テレビには出ないし、ちゃんと録音されたレコードを入手するのが困難な時代でした。
そんなとき中津川フォークジャンボリーというのがあって、なんでも何日間か徹夜で歌い続けたという話で、聞いたこともないフォークシンガーたちの、聞いたこともないたくさんの歌が入っているテープを買うことができたのです。8トラックテープといって、知らない人に説明するのも面倒な感じの、しかし当時としてはカーステレオやスナックのカラオケなどは、すべてこの方式(8トラック)と決まっていました。
そのなかに、中津川フォークジャンボリーに飛び入り参加した吉田拓郎の、参加者全員を巻き込んだ大合唱となった「人間なんて」があったのでした。
ほとんど歌詞らしい歌詞はなくて、ただ、「にんげんーなんてララーラーララララーーラー」を繰り返してばかりのあの歌が。
当時の世の中からはお世辞にも歌手とは認められていない、そんな若者たちの実況録音盤です。なかなかに音質の悪い、素人臭さいっぱいの、そして、だからこそ、定型的で硬直した作品ばかりの当時の歌謡界にはない新鮮さにあふれているようにも感じられた1本のテープ。
 
 
僕が音楽の世界で初めて自我に目覚めたのは、このテープがきっかけだったといってもいいと思います。
そんなフォークシンガーたちの動向や楽譜が載るのは、本屋さんの片隅にひっそりと置かれたマイナーな音楽雑誌と決まっていました。
「古い舟をいま動かすのは古い水夫じゃないだろう」という衝撃的なタイトルのLPレコード(いまでいうアルバム)を知ったのも、そういう雑誌によってでした。
学生運動の活動資金を作るためにということで、広島大学の活動家が自主制作したものです。
それが、吉田拓郎と僕との二度目の出会い。ある歌詞の一部をそのままジャケットに使ったもので、歌のタイトルは『イメージの詩(うた)』。
僕が彼の歌の歌詞に惹かれ、好きになっていくきっかけになった歌です。
 
 
彼の歌が初めてテレビで流れたのは、NHK。
歌は『せんこう花火』。このときテレビ画面は影絵だったはずです。
彼がテレビで歌ったことで、フォークを支えてきたと自負し狂気すら宿していた熱烈なファンたちからは「裏切り者」と呼ばれ、彼のコンサートに行くと、「帰れ」「帰れ」と妨害するものが続出したんです。
テレビに出た吉田拓郎は、かくして異端の烙印を押されたわけです。
拓郎を切り捨てたファンたちが支え続けたのは、加川良や高田渡。
加川良は吉田拓郎の最初の妻となる四角さんに好意を持っていて、デーとしたときの感想などを書いた手紙を彼女に送っていたのですが、それに拓郎がメロディーを付けて暴露してしまったのが『加川良の手紙』です。拓郎一流の痛快な反撃とでもいいましょうか。
このころの曲で好きなのは、集団就職で東京に出てきた少女たちを見かけて、“東京ってやつ”に翻弄されていくであろう彼女たちの将来に様々な思いを巡らせ、切なく歌う『制服』。
タイトルが象徴的なのが『いまはまだ人生を語らず』。
まだ人生を語るには早すぎる20代なのに、“語らず”といいながら語ってしまう傲慢さや青臭さは、人生の伝道師として本気で人々を教え導こうとしていたフォークシンガーたちを象徴していると思います。みんなこうでした。内心は様々に屈折し悩んでいるくせに、髪と髭を伸ばして喫茶店の片隅で、考え深そうな顔をして腕を組んでいたのです。
 
 
『旅の宿』や『結婚しようよ』のヒットは、「裏切り者」と叫ぶ人たちへの居直りかもしれません。基本的にフォークは一貫して社会派でありメッセージソングでしたから。恋人を慕って歌っていても、それは戦場に赴いた恋人への思いであり恋に形を借りた反戦の歌だったりするのが普通だったわけですから。
コンサート会場で聴いた弾き語りの『旅の宿』は切れのあるギターが印象的でしたが、僕としては、「彼の世界は本当はそういうのとはちがう」という思いが先に立ち、ちょっと複雑なものがありました。
カラオケでリストにあるとつい歌ってしまうのが、優しい気分の時は『伽草子』や『シンシア』、『全部抱きしめて』。
疲れて落ち込んでいたら『たどり着いたらいつも雨降り』や『ペニーレーンでバーボン』で声を張り上げ、元気を出して。
心の傷が癒えかけたときのお勧めは、『すなおになれば』か。
それと、拓郎ファンの人たちの中ではあまり好きな歌として話題になっていないという印象がありますが、『気がついたら春は』は、これは僕はぞっこんです。
別れの気持ちなのか、慕う気持ちなのか、思いやっているのか。
歌っているのに、すべてを隠している、みたいなところが。
それに何よりもメロディーが、心揺さぶり波打つようで。
 
 
テレビ番組『LOVE2愛してる』などを見ていると、一度でいいから、彼といっしょにビールでも飲めたら楽しいだろうなあと思います。僕が一方的にしゃべりまくってもいいし、彼がしゃべりたいなら、気分良く酔いの中で揺られながら、僕は笑って飲んでいるだけでもいい。
まるでペテン師のような薄汚れた伝道師の衣を脱ぎ捨て、いつのまにか心のままに歩いてきた、そんな彼、吉田拓郎の近くで酔っぱらっていたいのです。
紛れもなく僕らは同じ時間を生きてきたなと、深く深く酩酊しながら。
ああ、また僕の代わりに歌ってくれているなと。
 
 
                                 ムッシュ
 
 


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