仕事柄、何本も弔辞を書きました。 弔辞を書く仕事は大変でした。何しろ時間がありません。締め切りは泣いても拝んでも待ってくれません。見知らぬ人物の人柄や生前の功績を短時間で調べ上げ、自分なりの人物像というものを作り上げてからでないとペンは取れません。必要なら、知られざるプライベートを創作もします。 鬼と恐れられた豪腕の裏側に、実は意外な人情味があったとか。 「一緒に酒を酌み交わしたとき、ふと君がつぶやいた○○○のひとことが忘れられません」などと。 あるいは、豪胆さの裏側に秘めた繊細さがあったとか。 「一緒に○○山の△△事業を視察したとき、山道に咲いていた小さな花を指して、『これはビッチュウフウロだよ』と僕に教えてくれたのは君でした」などと。 池部良さんが、かつて助監督だった人物の弔辞を頼まれ、その人のことをいろいろと思い出してみたがろくな話がなくて、褒めも讃えもしない弔辞を捧げては可哀相だからと、 「お断りすると手紙を出しておいた」と書いておられたんです。 それを読んで、思い出してしまいました。 リタイアしたから、見知らぬ人の弔辞を書くことはもうないと思うけど、もし、首尾よく長生きできればですが、悪友たちの弔辞を書く羽目になるかも知れません。 そのときは、僕は力一杯、そして誠実に、本人にも参列の皆さんにも喜ばれるような弔辞を書きたいものと、強く決意しています。 ぜひとも、たくさん書きたい。 みんな、並んで並んで。 僕は最後でいいんだから。 前の話へ戻る 次の話へ進む 【MONSIEURの気ままな部屋】に戻る |