怪優左ト全の秘密    2007/08/01
 
 
 その昔、「老人と子供のポルカ」という歌がありました。歌ったのは、左ト全とひまわりキティーズ。
 ♪ やめてけれ やめてけれ やめてけぇ〜れ ジコジコ…
 
 僕は、あれ、いっそ「左ト全と子供のポルカ」にしたらよかったのに、と思ったくらいです。
 
 
 
 怪優、左ト全(ひだりぼくぜん)。
 1曲だけですがヒット曲もあり、他の追随を許さないキャラクター。
 でも、僕は何も知らなかったんですよね。
笑う左ト全
 
 池部良さんが、「熱砂の白蘭」という昭和26年に東宝砧撮影所で撮った映画でのエピソードを紹介したものを読みました。
 舞台は中国大陸の小さな駐屯隊。8月15日の終戦を知らされず警備に当たっているところへ、大陸の奥から日本へ逃げ帰ろうという日本人十数人がやって来て、滞在が長引き、食べ物が不足していくのです。隊長は、難民の処遇と任務との間で苦悩するというストーリーだったとのこと。その隊長役が池部良さん。
 その映画に、隊長に忠実な当番兵(階級は1等兵)の役で左ト全さんが出ていたのです。
 
 トラブルは、難民たちが「食べ物をよこせ」と左ト全1等兵に詰め寄るシーンで起こりました。
 集まった難民たちの怒声、罵声を浴びながら、ト全さん扮する1等兵が、
「ねえものは、ねえよ」
 
 カメラのモーター音が低く唸り、監督、技師、助手の緊張が続いた。
 突然難民のどなたかが「カットしてよ」と叫んだ。驚いたカメラマンがカメラのスイッチを切る。
「ト全さん、ねえものはねえよ、は台詞だからいいけどさ、「ねえ」(本文は傍点、以下略)とか「もの」とかの間でさ、そんなに間を空けられちゃ、どなってる僕達、気勢を削れて芝居になんないよ」
       (中略)   
 僕は出番でなかったから、カメラの後ろで専用の椅子に腰かけていた。
「そらあ、申しわけねえことしたでやんすな。では、もうちょっと、間を詰めてやってみますでがす」というト全さんの声が耳に入った。
 その後、4回撮り直ししたが「ねえものはねえよ」の台詞の間に少しの変化もない。
 難民のみなさんから諦めとも愚痴ともつかない呟きが別府の地獄谷温泉の泡みたいに聞こえてきた。
 
 そんなとき、池部良さんは、鉄パイプの椅子に「左ト全用」と書かれた台本があるのに気付くのです。そして、ひょいと捲ったところで、
 
「池部さん。見やしたね」と低い声がしてト全さんが下駄のような口を歪め、悲しげな顔で目の前に立っていた。
「あ、ごめん。黙って開けちゃって」
「それ、わしの秘密でやんして、女房にも見せたことあねえんでがす。
 池部さんはお芝居も固えが、口もお固えと睨んでおりますです。その台本に、わしの書き入れがあること日本中に知れやすと、わしの芸道は終わりでわしに仕事の話がかからなくなるんでやんすな。ぜひ、ご内密に」という。
「いや、失礼、秘密なら誰にも言いやしません。でも、ちょっとだけ聞いてもいいですか」といったら、
「ようがす。ちょっとだけなら。台詞の覚えが悪いという評判の池部さんのことでやんすから、わしが説明しても、すぐに忘れてしまうでがしょう。忘れるっちゅうことは秘密を守ると同じでがしょう。
 さて、なんでやすかな」という。
 
 
 かくして、秘密が明かされたわけです。
 ト全さんの台本の台詞の『ねえものはねえよ』の脇には、たくさん、髭みたいに短い線が引いてあったんです。
 その意味の解説が始まったわけです。
 無口だと思っていたら、案外ずけずけものを言うなあと少しむっとした顔をした池部さんのことを、金壷眼(かなつぼまなこ)をぐわっと開いて、睨み返して、
 
 池部さん。わし達役者はしゃべる言葉は大事にしねえといけねえと思いますです。
 大昔の中国に4種類の声の調子、つまり声調というのが決められておりやしてな。即ち平声(ひょうしょう)、上声(じょうしょう)、去声(きょしょう)、入声(にゅうしょう)でがす。
 現代の北京語の声調も同じように第一声、二声、三声、四声とあるんでやんすよ。従いまして、わしも日本語に四声を取り入れまして、即ちああと左下がり、ああと左上がり、右上がり、右下がりてな具合ですな。正しい抑揚と強弱で発音することにより、ですな、台詞の意味がお客にじっくり伝わるよう四声の印を付けてあるんでやんす」
「で、「ねえ」と「もの」との間の20、「は」と「ねえよ」の間の30という数字は?」
「間、でがすよ。20秒、30秒のことでやす。これだけ長い間を取りやすと、難民のみなさん、その間、どんな芝居をなさったらいいか分からねえもんで、お怒りになる。それが、わしの狙いでやすな」といってフェフェフェと笑った。
「わしの出番は、いつも、蚤の金玉ぐらいしかねえですから、こういう風に一生懸命やらねえと目立たねえんでやんす」といった。
 確かに怪優さんには違いないが、怪優と一言で片づけていい俳優さんではないような気がすると僕は思っている。
 
 そうなんでしょうね。
 いつも、こういうふうに、ト全さんは一生懸命だったんですね。
 なんにも知りませんでした。
 
 引用がすぎる気もしますが、大切な部分は、かいつまんで書き直しては失礼な気がして、僕なりの考えで、こういう形で紹介させてもらいました。
 
 
※引用部分は文芸春秋社株ュ行「言伝て鍋」池部良の「左ト全氏言行録」から  

 
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