2000年7月20日午後8時。 夕食代わりに桃園で飲んだ生ビールのことが気がかりで、僕はほとんど一番うしろ、トイレのドアにほど近い場所に腰を下ろしていました。 ん10年前のコンサートのことなど思い出しながら、開演時刻になっても現れない加川良を待っていたのです。 あたりには、なんとなく、いいようのない違和感が漂っていました。 思えば、ん10年前の岡山市民会館は、観客たちの真剣さや若々しい緊張感にあふれていました。 僕らは、シンガーソングライターの歌をただ聴くのではなく、彼らのメッセージと対決する気分だったといってもいいかもしれません。 それほどまでに僕らは純粋で、真摯でした。 それが、いまこの狭い空間には、怪しいおじさんやおばさんたちが跳梁跋扈しています。 最前列に陣取るお坊さん風や、その横の、女性用のスカーフを頭に巻いている中年おやじくらいで驚いていてはいけません。 カリスマ美容師をきどっているのか、のばした髪をうしろでひとつに束ねているおじさんたちが複数いて、みんな、申し合わせたようにちょび髭をはやしていたりして。 女性については……コメントは控えるとして。 とにかく、そんな人々が、理由もなく自信に満ちた仕草で、妙にゆったりと構えて主役の登場を待っているのです。 片手にはアルコールの入ったグラス。もちろん緊張感など存在しません。 もしかしたら、お花見気分に似ているでしょうか。 まあいいでしょう。 やがて、加川良がステージに立ちました。 そして語りはじめたのです。 岡山県笠岡市、「カフェ・ド・萌」のうわさは聞いておりました。 あそこの客は、濃・い・ぞ……と。 気を付けろよ、と。 聞いてはおりましたが、いまここに立ち、そのとおりだなと思っております。 笑っていました。笑う加川良。 先日、どこかのホームページで見た写真と同じです。 ふざけた会話などしてたら殴られそうな感じがあった、かつての、苦虫をかみつぶしていた加川良ではありません。 どっかと椅子に座ってギターを構え、身じろぎもせずに、伝道師のような威厳をもって歌う加川良ではありません。 ちょっと皮肉なジョークの、優しいおじさんでした。 持って生まれた神経質さを、後天的に獲得した我慢強さで包み隠して。 学校の先生が、できそこないの小学生に噛んで含めるように話をするみたいに、常に優しい微笑みを絶やさず、軽く膝を曲げ加減に立ち、19(ジューク)のような仕草で、村の渡しの船頭さんが船をこぐように、調子で前後に身体を揺らしながら歌います。 「教訓」さえも、アリスの谷村ばりに表情豊かに。 それは、苦労をして、積み重ねてきた年輪が作り出した、皮肉な笑顔なのでしょうか。 真面目に深刻に、ひたすら伝導を続けてきた彼がたどり着いた、もう笑うしかない結末でしょうか。 すべてが無駄だったとはいわないけれど、なかなか思うようにはいかないのが人生。 それはわかっている。 気持ちの半分は、もう笑うしかないと思いつつも、だけど、追いかけ続けたものはまだ投げ出さないぞと。 考えてみれば、笑う加川良も、それはそれで、また独特の凄みを内包していたりして。 |