ときには教訓のように     2000/07/08
 
 
学生時代はバスケットボール部に所属していたということで、若くて健康的。はつらつとして人生を謳歌していると見えるそのお嬢さんには、意外なコンプレックスがあったことを知りました。
 
彼女については、少女のころから基本的には負けず嫌いの性格だと見ていたし、勉強も、国立有名大学に進んだお兄さんほどではないにしても、まあまあできる方だと思っていましたから。
しかし、彼女は、お兄さんとの成績の差について、そんなに軽くは考えていなかったようです。
 
※このカットは Grey Sovereign さんの作品です。
 
話が飛びますが、職場の先輩に3人のお嬢さんを持つ人がいました。
僕が結婚して、翌年に長男が生まれて少ししたころのことです。ある飲み会の席で、先輩は僕に、「子供の写真をたくさん写しているだろう。少し分けてくれないか」と笑いかけるのです。
なぜだろうと思ったら、最初の子供である長女の写真は山ほどあるんだけど、次女の写真が少ないんだといいます。三女のものは、これはまた末っ子で周囲の関心を集めたからか多いんだ、とも。
要するに、僕の長男の写真を、先輩の次女の写真としてでっちあげ、量を増やして全体のバランスをとりたいのだというわけです。
もちろん、お酒の席の悪いジョークです。
「でも、うちは男の子ですよ。そっちはみんな女の子じゃないですか」というと、
「いいんだ、赤ちゃんなんだからわかるもんか」
まあ、付いてるものが露骨に写ってないのを選べばね。
 
 
普通みんな、善悪は別として、最初の子供には手を掛けすぎる傾向がありますよね。
そうやって甘やかして、ダメにしてしまうんです。
いわく、総領の甚六、長男の三文安。
僕も長男ですけど。
ただ、でも、このことの善悪は、本当に不明です。
一般に、人間の脳の発達は、幼児期の環境によって大きく左右されるといわれています。脳は、幼児期にどんどん吸収し、この時期の過ごし方が脳の将来に大きく影響すると、ものの本にも書いてあります。
某知事も、何かの席でそんな趣旨のことを話題にされてもいましたし。
バスケットボールのお嬢さんの場合も、彼女のお父さんは、兄妹の育児について、深い考えもなく、ありがちな行動パターンをとられたと聞きました。
お父さんは、幼児期の息子さんと、しばしば並んでテレビの前に陣取り、当時人気だった「カリキュラマシーン」が始まると、『10の束、5の固まり、バラ3……』とか、まるで日課のように親子でやっておられたようです。算数だけでなく、友人がプレゼントしてくれた平仮名の書かれた積み木を、「うみ」とか、「りんご」とか、「たいよう」とか、次々に並べ替えたり。
我が家の場合もそうでしたが、僕らは遊びながら、いつのまにか子供の脳のトレーニングをしていたのでした。
 
賢明な読者諸氏はすでにお気付きかと思いますが、親と子供のそういう遊びをする回数は、子供の写真の枚数と比例しているのです。
かくして彼女も、ほとんど自分ひとりの力で、脳のみに偏らない、自然で健康的な、バランスのとれた発達の道をたどるしかありませんでした。
僕らの世代が、ちょうど年齢的に、仕事面での負担が大きくなっていく時期にふたり目が生まれるケースが多かったのが原因と見ることも可能かもしれませんが、順当な見方としては、どうしてもまあ、ふたり目ということで、子供と遊ぶことに飽きたということになるでしょうか。
 
バスケットボールのお嬢さんが、かつてコンプレックスを持っていたことが事実だとしても、僕から見たら、現在の彼女からはそんなものは感じられません。冒頭に書いたように、彼女ははつらつとしていて、若い人たち特有の自信と不安をあわせ持ち、輝いて見えますから。
今年の春から就職もして、これからが、本当の意味で彼女の真価を問われることになるわけです。
人は誰も、成長していく過程の中で、時にはほんの偶然に、時には遺伝子という必然に導かれ、長所も磨かれれば短所も明らかになっていきます。
そして、そんな諸々が渾然一体となった自分というものの上に、僕らの短い人生はあります。
 
僕らの親たちは、学歴こそが社会の荒波を乗り切るための心強い羅針盤と考え僕らを育てましたが、いま冷静に見て、「勉強さえ出来れば幸せになれる」時代はもう終わりました。いえ、もともとそんな時代などなかったともいえます。
大切なことは、その人が人間としてどんな価値観を持っているか、です。
何が大切で、なにがくだらないことか。我慢しなければならないことは何で、許してはならないことは何か。それらがしっかりと整理できているかどうかだと思います。
 
 
過去にコンプレックスを持ったことのない人間は、他人の痛みには気付きにくいものです。
僕自身、振り返れば多くの人を傷つけてきたにちがいないと思っています。過去を反省し、注意したいとは考えていても、多分、これからも無意識に誰かを傷つけてしまうのでしょう。
そういう意味で、僕らは、ひとつの時間にふたつの道の両方は歩けないし、道それぞれの善悪も不明だと思うのです。
 
確かに、かつてはコンプレックスを持っていたとしても、それは過去のことでしょう。
少なくとも、現在の彼女には、いま人生のスタートラインに立つ時点で必要なものは備わっているように見えます。
戦いに臨む場合、武器が多すぎても、重いだけで使いこなせませんから。
ものを知らないのは、若いから仕方のないこと。
どうか、いまのままの凛々しさで、自信を持って、わがままに。
 
 

 
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