無駄の恐怖     2000/04/08
   
 
飲んでいて、隣に座った若い女性と男性の両方が、期せずして「無駄が嫌いだ」というので何か書いてみようかなという気になりました。
いわく、「誰もいない部屋に電気が点いていると、消したくなる」とか、「歯を磨いている間に水道の水が出っぱなしになっているのを見ると耐えられない」とか。
いわれて自分を振り返ると、僕はその両方とも、抵抗がないタイプでした。
誰もいない部屋に電気が点いていると、ああ、誰もいない部屋に電気が点いているんだ……と思い、ぼんやりとそんな様子を見ているのは嫌いじゃないし。
思いっきりリラックスした状態で歯など磨いているときは、水道の水が無用に流れ続けていようがどうだろうが、そんなことなどにはまったく気づかないほどにリラックスして、楽な気分でいますし。
 
 
無駄擁護派の論客タイプが相手を論破する際に使うと思われる手法は、無駄じゃないものをつかまえて、これをさりげなく「無駄なもの」としてまな板にのせ、あとから、でもほら、本当は無駄じゃないでしょ、といってみせるパターン。
とりあえず、いま思い付いたのは、「無駄な時間」のことなので、これでやってみましょう。
 
僕が中学生の時、外国航路の船乗りだった英語塾の先生のところで麻雀を覚えたのが始まりで、以来、青春時代の膨大な時間を、この亡国の遊技に費やしました。
学生時代には日常的に徹夜で麻雀を打ち、二夜連続の徹マンというのも経験しましたが、そういう夢中になれる時間が終わったあとは、必ずといっていいほど、深く大きな後悔に包まれていたものでした。
ああ、また貴重な人生の時間を無駄に過ごしてしまった……と。
 
就職してからも、好戦的な上司の求めに応じて、週に1回くらいのペースで徹マンを繰り返していました。
当時の気分としては、半分以上「これもお務めのうち」という感じで楽しくはなかったけど、挑戦された以上は受けて立つのが武士のたしなみと心得ていましたから。逃げたら、戦わずして負けたことになると思っていましたから。
それでも、戦い終わって窓の外がほんのりと白み始めるころになると、やはり、学生時代と同じように、ああ、またこんな時間の使い方をしてしまったという不快な気分に包まれていました。
でも、まあ、この時期というのはもう学生じゃなくて、当然のことながら翌日も仕事がありますから、徹夜で遊んでも翌日はそのまま寝ないで出勤します。そういう意味では、無駄には過ごしたけど別に昼間のアクティブで有意義な時間を削ったわけじゃないなと、そんな変な慰めの理屈を自分に言い聞かせたりして誤魔化していたような気がします。
 
このあとで、『しかし考えてみると、年齢を超え立場を越えた得難いふれあいがあった。戦いを通じて人間としての対処の仕方を学んでいたことに気付いた……』とか続けると、世の中に「無駄な時間」というものも本当は必要なのではないか、などというひとつのロジックが完成するわけです。
もちろん、説得力のある具体的な事例をふんだんに盛り込んで、無駄な時間の大切さを一気にまくし立てるのです。
ただ、今朝は、昨夜のお酒がまだ残っている気配があって、いささか面倒なので省略します。
そんなときあなたはもしかして、「そんなのはもともと無駄な時間じゃないんだよ。」と反論しますか?
鋭い。
実は、そうかもしれないんですよね。
でも、あなたはそこから、議論の本線から離れて、延々と、何と何が真の無駄かということに無駄な時間を費やしてしまうことになるのでしょう。
 
要するに、無駄というものが僕らの人生に必要不可欠な要素なのかそうではないのかを議論する前に、議論の対象たる「無駄」についての定義をしっかりとしておく必要があることだけは疑う余地がありません。
そういう不確かな観念を不確かなままにして、無駄が好きか嫌いか、無駄に意味があるか無いかなどといってみたって仕方がないですから。
それこそ、無駄が嫌いだといいながら、無意味な議論、無駄な時間をスタートさせようとしている自己矛盾。
でも、だからといって、じゃあ、まずそっちから片付けようなどと、安易に方向転換するのは早計です。「無駄とは何か」という極めて哲学的なテーマは、短時間の気軽なおしゃべりの間で処理しきれるような生やさしい代物ではないことに気付かなければなりません。
 
 
 
本当をいうと、実は僕は、こうしたある意味では真面目な議論について、一気にやる気をなくさせるような考えを持っているのです。
それは何か。
 
それは、僕らの人生そのものが、僕らの存在そのものが、何の役にも立たない無駄なものなのではないだろうかという疑問です。
広大無辺な宇宙の、悠久の営みの中では、僕らはまさに、いてもいなくてもいい存在なのかもしれません。
それは、見方によればぐうたらな僕にとってはこれ以上ない救いのようにも感じられますが、見方によれば、大いなる恐怖でもあります。
気ままな暮らしの中で、ふと、それでも誰かの役に立ちたいなどと思ってしまうのは、そのせいだと思うな。
 
 
                                 ムッシュ
 
 


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