『自殺』について
ふてくされ初め
「犬の行動と心理」雑感
芸術と怪傑白頭巾
人間はなぜ歯を磨くか
『五体不満足』の乙武くん
『こまめに灰汁を取る』の秘密
みんな同世代人
ラーメン この深遠なるもの
補陀落通信……
それは夕立のように
わだばベンチャーになる
 
 

 
   『自殺』について     1999/01/01

 
『自殺』についてはいつも考えが揺れます。
その都度状況も違って、難しすぎることが多かったし。
死について考えるということは、生きることについて考えることでもあります。
そして、何歳になろうと『人はなぜ生きるのか』に答えはありません。
ただ、夢とか目標とかの正体に気付いてしまえば、人生は空しいものです。
なんだ、あんなものを追いかけていたのかと。
 
でも、若い人たちには死なないでほしいと思います。
生きていてほしい。
いつか誰かと、静かに笑いあえる日のために。
 
 
                               ムッシュ
 


 
 
 
   ふてくされ初め       1999/01/01

 
テレビのグルメ番組をよく見ます。
僕はドラマがあまり好きでなく、以前はクイズ番組か歌、もしくはバラエティーと決まっていたのですが、最近バラエティーは質が落ちたように感じて、なんとなくつまらないし、さりとて歌にもついていけなくなったし。
ついつい、旅とかお料理の番組にチャンネルを合わせてしまうのです。
 
でも、あれだけはどうにかして欲しい。
一口食べたあとの、若い女性の大袈裟なコメント。
さっきも、麻婆豆腐を食べて、「う〜ん、お豆腐も深い味わいがありますね」だと。
それも、抑揚たっぷりに、オーバーに。
麻婆豆腐で、ですよ。
しかも、自分の言葉に自分でうなずきながら。
お豆腐に特徴があって、「醤油を付けないでそのまま食べてみてください」などといわれたときと、セリフを混同しているとしか思えません。
勘弁してよ。
まるで、こっちがなめられているような気分になってしまいます。
 
彼女に限らず、そういうのが多すぎるのです。
テレビは、安物のディレクターに番組を任せすぎなのかも。
というよりも、料理番組を練習台にしてるのかな。
なににしても、練習台は必要ですから。
そういえば昔は、百人殺したら一人前とかいってましたし。
いえ、お医者さまの話ですけど。
 
そうそう。
ラジオでも、クリントンの弾劾裁判を「たんこう裁判」とやってましたよ。
アメリカ大統領は石炭でも掘るのでしょうか。
 
 
                          ムッシュ
 


 
 
 
   「犬の行動と心理」雑感       1999/01/01

 
「犬の行動と心理」という本が、その筋の専門家のデスクの上に置いてありました。
「こういうのは、そっくり人間にも使えそうじゃなあ」というと、
「そうですよ。しかも、飼われている犬を見ればその家の子どもの性格がわかるし、子どもを見れば、その家の犬の性格がわかりますよ」と自信たっぷりに笑います。
えてして、犬も我が子もおんなじ躾方をしているということらしい。
子どもをあまやかす家は犬もあまやかすのか。
 
 
ところで、犬に人間の言葉がわかるという説を唱える学者は、現在では少なくありません。
僕が子どものころに家にいたメリー(雌のスピッツ)は、ある日僕の目の前で引き綱をはずされた瞬間に、脱兎のごとくに走り去って、以来二度と帰っては来ませんでした。
その前日に親たちが、「メリーが年取って、毛も抜けるし、もう保健所に連れていこうか」などと話していたのだと、あとで聞きました。
この本を貸してくれた専門家にその話をすると、「言葉を理解したかどうかはなんともいえないけど、表情とか全体の様子から、自分がどういう状況に置かれているかは感じるものですよ」といいます。
「殺気を感じるんでしょう」と。
この本にも、老いた牛追い犬が可哀想だから、(楽にしてやるために)明日の朝に銃で撃ち殺そうと話をしていたら、それ以後、いつも犬は遠く離れたところから飼い主の方を悲しそうな目で見つめて、決して近寄らなくなったという話が出ていました。
同じことですよね。
 
 
人間の赤ちゃんも、ものすごい記憶力で言葉を覚えますが、小さいとはいえ同じような脳を持つ犬が、人間の言葉を理解できても不思議ではないでしょう。
ドイツの牧羊犬はドイツ語を聞き分けて行動しますし、アメリカの犬は英語の指示を聞き分けます。 口の構造が人とは違うから、一般的には犬は人間の言葉は話せないことになっていますが、「話をする犬」の記録は世界中にあります。
犬だって笑ったり歌ったり、時には「おはよう」とかしゃべるそうです。
 
 
それに、犬の観察力の鋭さは、まるでシャーロックホームズ並みです。
飼い主の行動パターンを記憶し、定型的な行動の場合は、先を読むように動きます。
「犬の行動と心理」の著者が部屋のカーテンを閉めて紙入れを懐に入れると、愛犬は引き綱のところにいってうれしそうに尻尾を振るのです。
その割に、「推理」が苦手という矛盾したところがあるのがおもしろいけど。
著者が犬と散歩中にネコが前を横切り、茂みの中に姿を消したときのこと。
彼はネコの進行コースを予測して、茂みが切れるところあたりに注意を注いでいたのですが、犬は、ずっと、ネコが入ったところばかりを見ていたそうです。
シャーロックホームズ張りの賢い犬にして、そうなのですから意外です。
 
 
ネコの方が好きな僕としては、そうなると、当然のことながらネコだって犬並みの知能があるんじゃないかと考えてしまうわけで、なんか、急にワクワクした気分になってきます。
 
 
人間の言葉が理解できる、まるで仙人か魔法使いみたいな、そんな老いたネコとなら友達になってみたい。
あの、カントリーロード流れる、『耳をすませば』の世界みたいに。
 
 
                             ムッシュ
 


 
 
 
   芸術と怪傑白頭巾       1999/01/31

 
僕がこどものころは、街に映画館が3つありました。
中劇とオリオン座とあともうひとつ。
人口3万人の地方都市に。映画館が3館というのはいま考えたら多いですかね。
これらの映画館には、少年時代の胸躍る幾つかの思い出があるのですが、その話をしてると長くなるので、それはまた別の機会に譲りましょう。
 
 
遠い過去の話なので、記憶が定かでありませんが、とにかく、その映画の主人公は『怪傑白頭巾』。以下はその映画のあらすじです。
 
名を成したひとりの老絵師には、生涯の心残りがありました。
それは、若いころに描いた**城の大広間の屏風絵のこと。
未熟なあの絵が、自分の作として後世まで残るのは耐え難いと。
描き直させてほしいとお殿様に願い出たが聞き入れられず、思案したあげくに白頭巾に頼むという筋立てです。
ふたりでお城に乗り込んで、お城の侍たちが「ろうぜきものぉ〜!」とか叫ぶ中をふたりは問題の大広間まで進み、白頭巾が侍たちとチャンチャンバラバラやってる最中、老絵師は一心不乱に屏風絵を直していくというもの。
 
 
人間の素直な気持ちとして、あそこにこう手を入れたら引き締まるとか格段によくなるとか、そういうことはあるものです。
ここをこう描き直したらどうだろうかと考えてみて、それも悪くないけどそれだと別の絵になるのかなと思ったら、元の絵を描いたときの気持ちを生かして筆は入れません。
それは別の問題ですから。
でも、欠点や欠陥に気付いて、しかも修復する手法まで明確に見えているときは、これは放ってはおけませんよ。
老絵師の心情、大いに共感できます。
 
 
理屈ではそういうことになりますが、実際問題としてはどうでしょうか。
実は、直したい絵が僕の部屋の壁に掛かっています。
独身時代、日展用に描いた百号の大作。
どこがいけないかは充分にわかっているのです。
でも、僕はまだ発展途上だから、この瞬間に手を入れたとしてもまた来年には手直ししたくなるに決まってると、都合のよい言い訳で自分自身を諭しては、横着を決め込んでいるのです。(^.^)
 
ただ、逆もありますよね。
芸術における才能は、時間とともに磨かれていくという、そんな単純なものでもないようです。
多分、風格とかテクニックとかはそれなりにアップするのでしょうが、センスとかパワーとかは減退するのではないかと。
若いころに書いた短い詩には、ハッと目が覚めるような、新鮮な切れ味を感じることがあります。
いまはもうすっかりコクが出てしまって、まろやかで……。(汗)
 
 
                               ムッシュ
 


 
 
 
   人間はなぜ歯を磨くか       1999/02/01

 
例の“くらげ先生”(
友とするなら及び肉の名誉回復参照)から、その筋では知られた隠れた名著として紹介されたのがこの本、石川純博士の「人間はなぜ歯を磨くか」です。
名著の評価が高い割にはなぜかすでに絶版になっていて、僕が貸してもらったのもコピーでした。
だから、本の話なので本来なら「BOOKレビュー」に書くべきなんでしょうが、肝心の本がお店ではもう売ってないわけで、こっちに書きます。
 
 
その内容は、ほとんどが留学時代の研究日記で、それも、研究テーマをとおして向こうの研究者たちとの交流を描くというパターンであり、そのこと自体は目新しくもなく、そんなに興味を引くことではありませんでした。
肩の凝らない文体は読みやすいけれど、本でも書こうかというくらいの研究者なら、その程度の文才はある意味では当然のことで、とりたてていうほどのことでもありません。
もちろん、研究本体の話は、僕みたいな文化系の人間には未知の世界であり興味深いものです。
ネズミを使ったり犬を使ったり、さらにはサルを使って。それも動物園のサルと野生のサルと比較しながらの研究とか。どうして野生の動物は虫歯になりにくいのか。どういう食べ物を食べていれば歯が悪くならないのか。
野生動物は果物も丸ごと食べる。スイカはまず種から食べるとか。
そういえば、「肉の名誉回復」では、モンゴルでは羊を丸ごと食べる話を書きましたよね。北極圏で暮らすイヌイットも鯨を丸ごと食べるし。(イヌイットも最近は食生活が変わり、虫歯が増えてきたという話ですが……)
 
 
さて、話のパーツを並べて見せたところで、展開上、そういうことは一旦こっちに置いておきます。
実は、半年くらい前のことでした。
ある日突然、上顎右側の歯ぐきがひどく腫れ上がったのです。
近くの歯科医院で診てもらうと、「奥歯の歯ぐきが炎症を起こしているので掃除しておきました」ということでめでたく一件落着。
やれやれと思ってまた普段どおりに暮らしていると、1カ月後に再びおんなじ症状になってしまいました。
「ちょっと早いですねえ」と首を傾げられ、「当分、2カ月に1回くらいの割合で掃除にきてください」とのご託宣。
クラゲ先生にその話をすると、要するに歯ぐきの奥の炎症が慢性化しているわけで、対策としては、掃除をしてもらったらそのあとをできるだけ清潔に保つこと。
そこで考えました。
だって、ウィークデイは仕事があるし、土曜日は仕事は休みだけど囲碁の時間にあてたいし。
思い出したのは、奇怪な形をしたあの歯間ブラシ。
そのころ、時々自分の口臭が気になることがあったりして、原因は飲み過ぎたりして胃が悪いせいだと勝手に考えていたら実はそうではなくて口の中が原因だということがわかったこともあって、歯を磨いたあとで、そいつを使ってみる気になったのです。
使ってみて驚きました。
5分くらい丁寧に歯磨きをしたあとでも、歯間ブラシを使うと食べカスがでてくるのです。ローリング法とかスクラビング法とか、磨き方はいろいろありますが、要するに歯を一本一本丁寧に磨いても、毛先は歯間の奥までは届いていなかったということなのです。
歯間ブラシを使うようになって、口臭を感じることもなくなりました。
なるほど、自分の判断は正しかった。
そうなると、要は歯間の掃除であり、いわゆる歯磨きは「一応やったという程度でいいんだ」と考えるようになりました。
クラゲ先生の自説は、「歯磨きは1日1回でいいから、30分やること」。
「そんな不可能なことをいってたら、誰も先生の話に耳を貸しませんよ」と、僕の歯磨きはどんどん手抜きになっていった次第です。
この歯間ブラシさえ使っていれば大丈夫なんだ、と。
もちろん、定期の歯ぐきの掃除にも行きませんでした。
 
 
それから半年後、またまた僕の歯ぐきが超特大に腫れ上がりました。
今度は、麻酔をして歯ぐきを切って、たまった膿を出して、消毒して……。
「まだそんなにはひどくなってませんが、一部骨が(歯の受け皿になっている歯ぐき側の骨が)後退している部分があります」
要するに、昔風にいうと歯槽膿漏のなりかけです。
おかしいぞ。
ちゃんと歯間ブラシを使ってたのにな。
それでクラゲ先生にその疑問をぶつけてみました。
そうすると、いわゆるポケットの掃除まではできていないのだと教えられました。
「歯間ブラシは確かに有効だけど、あれは歯と歯の間の隙間を横に掃除しますよね。歯と歯ぐきの間の隙間、いわゆるポケットというのは、そこから90度顎の方に向かってできているわけで、そこは歯間ブラシではとれないんですよ」
健康で丈夫な歯ぐきの人にはポケットなどないのですが、僕の場合は残念ながらできているというわけ。
「腫れを繰り返していると、どんどん骨が沈んでいって、歯ぐきがグラグラになって、ほんで、一本抜けたら、それからあとはあっという間ですよ」と笑ってる。
ひとごとだと思って。
 
 
まずいなあと思いました。
ちゃんと歯間ブラシを使ってたのに、ポケットまではどうしようもないのか。
「人間はなぜ歯を磨くか」を貸してもらったのは、そんなときでした。
 
目が覚めたというか、これだ! と思ったのはレオナルド博士のちょっとした実験の話のくだりでした。
著者である石川純博士がボストンのタフツ大学に籍を置いておられたころのこと。
紹介したい話題の主のレオナルド博士は、当時すでに80歳を超えておられて、遠く離れた都市(ニューヨークだったか)から講義に来ておられたとのこと。
そのレオナルド博士の、ちょっとした実験というのはこうです。
歯肉炎にかかっていた学生に協力してもらって、博士は学生の口の片方だけ、小型の鋭いスケーラーという専門器具でポケットの底から丹念にプラーク(歯垢)を取り除いた。
歯ぐきが腫れる度に僕がやってもらっている、あの掃除ですよね。
そしてもう一方の側はなにもしないで、学生自身に丁寧なブラッシングをさせた。
これでどちらが効果があるかを見たというわけです。
果たして、その結果は博士の負け。
学生の歯肉炎改善に軍配が上がったのは、ただひたすら丁寧にブラッシングした側だったのです。
このレオナルド博士の実験によって、著者も、あらためて歯ブラシによるマッサージがいかに大切かがわかったとのこと。
 
 
海外留学して、さぞかし最新の医学知識を日本に持ち帰るだろうと期待され、自分自身でもそう思っていた石川純先生が持ち帰った結論が、『丁寧なブラッシング』であったとは。
 
 
歯周病対策は、どうも、ブラッシングの指導なしには考えられないようなのです。
そういうわけで、僕、心を入れ替えて、30分とまではいかなくても、せめて10分くらい、毎晩ブラッシングに精を出そうと決意している今日このごろなのです。
どうです、丁寧に歯磨きしてみる気になりましたか?
女々しいなあ……。
 
 
                               ムッシュ
 


 
 
 
   『五体不満足』の乙武くん         1999/02/07

 
乙武くんをテレビで見ました。
「五体不満足」の著者です。
くやしいけれど、感動しました。
ほとんど両手両足がないといっていい彼は、知的で男前で、爽やかな青年でした。
みんなと同じように生活し、運動会ではハンデをもらって徒競走にも出場したとのこと。
 
 
コメンテーターのひとりが、「素晴らしい先生と、素晴らしい同級生に恵まれたんですね」といいました。
僕も同感でした。
それに対する彼の答えは、「先生から『お前がいてくれたおかげで、クラスのみんながとってもいい子になった。ありがとう。』という言葉をいただきました」というもの。
それに続けて、「全国的に、障害者がいるクラスはうまくいってるということを聞きました」とも。
そういわれて、目が覚めました。
 
 
そういえば、中学生時代に僕と机を並べていた友人は、小児麻痺で脚が不自由でした。
僕よりも勉強ができて、おちゃめで、小さく切った消しゴムを授業中に投げるのが趣味でした。(^.^)
僕らより前に座っている、誰か特定の級友に狙いを付けて、先生が黒板の方に向いているとき、いまから投げるよと僕に合図をして、消しゴムを標的にぶつけるのです。
いま考えると、そういうところを僕に見せて喜んでいたように思います。
 
 
彼とはよく一緒に遊びましたが、可哀想だと思いながら付き合った記憶はありません。
それでも、片足が小児麻痺ですから、スポーツをするときはハンディがあります。
ソフトボールの時、彼が打席にはいるときだけは、「特別に代走を認めてあげよう」と提案しようかと考えたことすらありました。
打席の横に誰かがスタンバイしていて、彼が打つと同時に代わりに走るのです。
でも、そうしなくてよかったと思いました。
かれは運動神経も抜群で、2塁打や3塁打並みの打球を飛ばしては、ヨタヨタと、必死で1塁ベースに走り込むのでした。とっても楽しそうな顔をして。
打球が普通のヒットコースに飛んだ時は、彼の場合はアウトになります。
それでも、彼は楽しそうでした。
以来、しばしば神社の境内で、軟式ボールを使った三角ベースの野球をしましたが、いつだって彼にはハンディはあげません。
だって、僕らよりはよく打つもの。
その時の彼の得意そうな顔が忘れられません。
 
 
乙武くんが、身体全体をとばしてサッカーボールを止めるビデオを見ていて、そんな昔を思い出していました。
最近の僕は実は、中年にさしかかり、人生のすべてを見通してしまったような気分で、わかったような詩を書いて得意になっていました。
それが、乙武くんを見て、まだまだ人間のことがわかってないなと反省させられてしまいました。
乙武くんに教えられました。
 
 
                                ムッシュ
 


 
 
 
   『こまめに灰汁を取る』の秘密     1999/03/07

 
気まぐれに料理をしていて、疑問に思うことがありました。
それは、古来からの『こまめに灰汁を取れ』という教えです。
なるほど、灰汁は旨味の敵ということになっていますよ。
それはそうなんだろうけど、鍋につきっきりで作業している人を見ると、僕はどうしても、おいおいちょっと待てよ、と思ってしまいます。
でも、そんなこと、うっかり口をはさもうものなら大変なことになります。
通常は、相手は誇り高き女性ですから。
「灰汁はこまめにとらなきゃだめなのよ」
確かに、そういう教えは料理における常識とされており……。
でもね、実際にやってみたことがある人は経験していると思いますが、灰汁は、はじめは細かな泡みたいで、肉や野菜の縁にプチプチと絡みついていて、繊細で、薄く表面に散乱しており……。
無理に取ろうと思えば、まあ取れなくはないものの取りにくいのは事実。
そもそも灰汁というものは、プチプチと小さな泡のように鍋の表面に出現してきても、しばらくはそのままに放置してやっているとそのうちに自然にまとまってきます。
まるで「いまですよ、いま僕たちを掬ってください」と語りかけているみたいに。
僕はひそかに、この状態になったときに取ればいいのではないかと考えていました。
そうしたら、先日テレビの番組で、ある料理人が弟子を叱りつけているシーンに遭遇したのです。
「だめだ、だめだ」と。
叱られた相手は、それこそ一生懸命、のべつまくなしにこまめに灰汁をとっていたのでした。
そうしたら、「馬鹿、そんなことじゃ、灰汁がきれいに取れないだろう!」
そうなんです。
その料理人も、灰汁が固まりになるのを待ってから取れと指導しているのでした。
表面に薄く広がった状態の、いわば灰汁の赤ちゃんの時はむしろ取りにくいのです。
『こまめに取れ』とは、灰汁の方から取ってくださいと言ってきたらすぐに取ってやれということだったのではないでしょうか。
『こまめに灰汁をとる』
日本語って、難しいですよね。
 
 
                               ムッシュ
 


 
 
 
      みんな同世代人     1999/04/09

 
忌野清志郎は歌っています。
♪ お兄さんも昔はペテン師みたいで とっても刺激的だった……
  おんなじ時を過ごしてきた 僕と乾杯しよう
 
 
コラムニストの山本夏彦氏が書いています。
知らない人がいるだろうから念のため付け加えておくと、氏は大正4年生まれの、血統書付きのおじいさまです。
 『わたしは年齢というものを認めていない。
  共に生きている限りみんな同世代人、同いどしだと思っている。
  歳月は勝手に来て勝手に去る。
  歳をとったからといって利口になりはしない。』
 
 
僕もペテン師みたいに過ごした時代を持っているし、そういうタイプの若い人のことは嫌いじゃない。
突っ張って生きる姿には、危ういけれども、オーラすら感じます。
未熟ではあっても、正義感というか、筋道の通った人生観に貫かれていなければならないし、そのためには、なによりも膨大なエネルギーが必要です。
 
 
だけど、人生はそんなにシンプルにはできていません。
くどくは解説したくないけど、忌野清志郎は乾杯しようといいながら、後ろの方のフレーズでは、
♪ 追っかけの仲間も ここにはもういない
  子供が踊るだけ……
と嘆いてみせて、その実、異世代との断絶を吐露しています。
 
 
僕も、実はこっちのフレーズの方が共感できる。
♪ 来るんじゃなかった こんなライブ
  またぁ〜 こどもの・う・た・ねぇ〜
 
ガッテム!
 
 
                               ムッシュ
 


 
 
 
      ラーメン この深遠なるもの     1999/04/25

 
 久しぶりに、御津町は辛香峠の先のラーメン屋『玉松』に立ち寄って、その独特の濃厚さを堪能していたら思い出してしまいました。
 
 
 少年時代、父親にねだって、年越しそばをラーメンにしてもらったことがありました。
 年越し本来のアイテムである日本そばは、かつては現在のものほどは腰がなく、箸で持ち上げようとするとあっけなくポキリと折れ、なおかつそのざらざらとした舌触りは、子供には容易に馴染めないものだったからです。
 仕出しもする魚屋さんが、商店街の一等地でレストランを経営していて、市民が食事に行ったり、何か出前をとるといえば普通はそこでした。
 そのころラーメンといえば、もちろん透明感あふれる鶏がらスープの醤油味という、今でいう東京ラーメン。
 たまたまその年の大晦日は、年越しそばを外注する罰当たりな家庭が多かったと見えて、行動を起こすのが遅すぎた我が家は出前の注文を断られてしまったのです。
 そのため、僕らは別のお店に電話を入れました。
 そこは『クロンボ』といいました。
 くだんのレストランが沢山のスタッフを抱える分業形態なのに対し、クロンボは家族でやってる小さな食堂です。
 でも、まあ、なんとかラーメンにありつけそうなので、僕はワクワクしながら待ちました。
 そして、目の前に届けられたラーメンを見て、大きな衝撃を受けたのです。
 それは、見たこともないものでした。
「ちがう。こいつは、ラーメンじゃない」
 そう思いました。
 異様な色をしたドロドロのスープの中に、なるほど中華麺は一応沈んでいるものの、麺と渾然一体となっている様々な具も、それはいわゆるラーメンに入れられているものとは異なっていたのです。
 味付け海苔もナルトもありません。
 不味くはなかったと思います。
 でも、カルチャーショックが強すぎて、「おいしい」という印象は記憶にありません。
 なんか、変……なのです。
 だって、その時代はラーメンといえば鶏がらスープと決まってたし、当時考案されて大ブレークしてたのも、あの、日清のチキンラーメン!
 大学に入ってからは「札幌ラーメン」と名乗る新種が世の中に登場し、瞬く間に全国制覇して、岡山の街にもあちこちにお店が開店しました。徹夜麻雀の息抜きや、3本立て映画の帰りなどに、よく立ち寄ったものです。
 九州にはまた別のスタイルのラーメンがあることを知ったのは、さらにその少し後のことでした。
 最近では、煮干しや昆布などを組み合わせたスープも人気が高いですよね。
 麺自体も、太麺に細麺、縮れ麺に無かん水麺等々。
 
 
 いま思えば不思議です。
 その夜、その奇妙なスープのラーメンについて、誰もコメントしなかった。
 ただ、みんな、黙々と食べたのです。
 少なくとも父は、クロンボのラーメンがそういうタイプであることを知ってたのでしょう。
 福山の『モロッコ』というお好み焼き専門のレストランに連れて行かれたことがあって、広島県にはめずらしい関西風で、テーブル毎に鉄板があり自分で焼いて食べるのですが、親父はそういうのにも結構詳しかった。「着るものは始末(節約)しても、食うもんは始末したらいけん」が口癖で、家族を寿司屋や焼き肉屋によく連れていってくれてました。
 
 
 その摩訶不思議なラーメンの味とか詳細は、実はもう記憶にありません。
 どえらいものだったという、抽象的な印象が残滓となって心に残っているだけ。
 以来、本当に様々な種類の作品たちを観賞し、賞味してきました。
 透明なすっきりスープでシャープな切れを感じるものから、豚骨ベースの複雑にして濃厚なコクを前面に出したもの。
 まさに無限のバリエーションがあるなという感じがします。
 その店の力量を計るという意味で、僕は初めてのところでは醤油を注文します。
 醤油は、味を誤魔化せませんから。
 大胆にいうと、僕は中華料理店のラーメンが1番好きです。
 フカヒレラーメン、みたいなスープが。
 別にフカヒレは入ってなくていいから。(^.^)
 もちろん、中華料理店の中にも丁寧なところと不心得な店とあるでしょうが、あえて味のジャンル分けをするとしたら、ね。
 だから、許されるなら、本格的な中華料理店のがいい。
 あれは、どうにも切れとコクのバランスが絶妙で、僕的には、戦後日本産ラーメンたちの追随を許さない感じ。
 でもね、丁寧にいうと、本当は食べたいときがうまいときなんです。
 飲んだ帰り道に立ち寄るのは、豚骨醤油味がいいし。
 仕事で頑張っている最中の昼食なら、冒頭の玉松みたいな、薬膳風濃厚スープの、「全部飲んでくださいラーメン」も似合ってるわけだし。
 あっさりしたものを肉体が求めているときと、複雑怪奇なものに立ち向かおうという気迫に満ちているときと、おのずと箸の向かう先も異なりますから。
 
 それとあと、作り手側には、また別の視点からの哲学みたいなものがあったりするんですよね。
 同じ店のラーメン同士でも。
 醤油と豚骨のどっちがうまいかではなくて、どっちが手がかかってるか。
 言いかえると、どっちが可愛いか。
 
 
 エッセー的には、ここらあたりで気の利いたフレーズで締めくくるのがパターンなのでしょうが、そう簡単には短い言葉で総括できないところが、これがまたラーメンの深遠さゆえ……か。 v(−.^)
 
 
                               ムッシュ
 


 
 
 
   補陀落通信……     1999/05/15

 
大阪は天保山、海遊館の情報を集めていて不幸にも(^.^) ブチ当たってしまったURL。
しかし……。(^.^)
ここは一見の価値有りです。
 
Gooで検索した海遊館の紹介サイトの中に埋もれるように混在していた
『第98回 海遊館 1997.1.7』の書き込み。(あっ、まだ行くのは待って!)
阪神高速湾岸線周辺の詳細なアクセスについて知りたくて、たまたま、デートレポートのURLがあって、そこで楽しく確かめていた直後のことだったからたまりません。
おおっ、今度もまた海遊館デートのレポートかい、みたいなもんです。
そりゃあ、真に受けますよ。
「マダイ? タイやね〜」ですか?
なるほど。
まあ、偶然に竹村健一が通りがかったんだなぁと思いましたよ。(^.^)
「北酒場」が流れる中をカバが出てきた話になるまでは。(ΘιΘ;)
 
 
怪しいホームページです。
どうせならトップページから読んでやろうかという方は、【LINKS】のコーナーから!
 
 
                              ムッシュ
 


 
 
 
   それは夕立のように     1999/05/30

 
それはいつもいきなりやってくる。
あっ、くる……!
一瞬早く予兆があるのがせめてもの救いか。
素早くポケットに手を入れ、薬の包みをまさぐっている僕。
お守りのニトログリセリンがわずかに指先に触れる。
あっ、もうだめだ! 来た、来たぞ。
徐々に胸の中心が締め付けられるような感じで、急激に息苦しくなってくるのだ。
ただ単に心臓だけでなく、胸全体がバリバリに固まったかと思わせる、凍り付いたような激痛とでもいえば少しは想像してもらえるだろうか。
そもそも痛みなどというものは、自分で体験してみて初めて理解できるとしたもの。最近は馬鹿な親たちがいつも先回りばかりして子供に痛みを経験させてやらないから、子供たちはろくなもんにならないのだという、そんないささか乱暴な説にさえ荷担したい気分にもなってしまう。
痔の手術後の痛みと出産の痛みとが同じくらいだと説明する医師がいるが、痔の手術も出産も経験したことのない人間には不可解で理解しがたい話だろう。しかも、痔の手術にしても医師の技術や手法によって術後の痛みは一様ではない。出産の方は、残念ながらとんと詳しくないのでこれ以上は触れない。
 
 
話がそれたが、とにかく痛い。それも、半端でなく痛いのである。
みなさんにも、ぜひ一度経験させて差しあげたい。謹んで分けて差しあげて、その分だけ僕の痛みを和らげてほしいのに。
もしも受けてくれるなら、かの有名な研究所、大西科学に委託研究として発注したいくらいだ。まあしかし、さしあたり間に合わぬ。
いくら痛くても、潔く観念するしかない。なぜなら、ギャアギャア醜くわめきたてる大人の男に対して、世間はことのほか冷たい。この国は、僕ら大人の男が弱音を吐くことを許さないのだ。
「見苦しいわ。いくら泣いてもわめいても、それで痛みが和らぐわけじゃないでしょうに」
なるほどごもっとも。たしかにそういう見方もあろうが、口から何やら音声を発し続けてさえいれば、それはそれで、苦難の時をやり過ごすひとつの手だてにはなるのだ。
弱虫なりに身につけた悲しい知恵と笑ってくれてもいい。
断っておくが、僕の場合は大声でわめくのでは決してない。きわめて上品に弱々しく、あくまでも哀れに、語尾をか細くはかなげに伸ばして、「あ、いたい。ああ、いたい……」と。
 
 
おおそうだ、いつまでもこんな冗長なことをしてはおられぬ。
別に効果を期待しているわけではないが、小さなニトログリセリン錠剤をそそくさと取り出す。
マニュアルどおりに舌の裏側に入れる作業にも、もうこんなにも慣れてしまった。
舌の裏側に入れるのは、ゆっくりと溶かすことが目的らしい。こんな時には、独身時代に舌でサクランボの軸を結ばせたら右に出る者がいないといわれたほどの手練れとしては、技が冴えに冴えまくる。KISSが上手だといってくれた女の子は、いまはどこでどうしていることだろう。3年先の稽古、むかし捕った篠塚とはよくいったものだ。彼が現役時代に磨いた技術は、いま巨人のコーチとして役に立っている? はずである。多分ね。
がんばれカープ、負けるな達川!
 
 
話をニトログリセリンに戻そう。ふむ、このようにニトログリセリンとフルネームで書いてしまうと、ついつい精神が、妖しくもアブノーマルな世界にテレポーテーションしてしまいそうになるのは僕だけだろうか。テレポートという人がいるが、もちろん正しくはテレポーテーションである。
ファックスというが、これも正しくはファクシミリ。そういえば、英語圏の人に下手な発音でファックスというと変な顔をされて軽蔑されるから気をつけなさいよと、某大学の教授に教えられたことがあるなぁ。
 
 
話を本当にニトロに戻そう。
前述したように、ニトロはゆっくり溶かすのが基本である。優しく優しく、ゆっくり、ゆっくり溶かすのだ。
それはともあれ、もはや相当に、くっ、苦しいのである。
狭心症の発作なら、もうそろそろニトロが効果を発揮して痛みが収まってくれてもよい頃合いなのに。可哀相な僕。
沈んだ気分で「いたいよ、いたい」と回文の呪文など唱えながら、この先およそ30分間ほどは耐えなければならない。夢なら覚めよ! の30分。まさに夕立の通り過ぎる時間である。それも超とびっきりの土砂降りだ。
 
 
「症状からは狭心症を疑わせますが、あなたの様子を見ていると、どうもちがうように思います。念のためニトロは出しておきますが、これはまあ、あくまでもお守りと思って」
大学病院の若い女医さんの言葉が、むなしく頭の中で反響している。
むなしいリフレインは、遙かな記憶を掘り起こし……。
「君のこの答案では質問の趣旨に正面から答えていないし、どう見ても単位が出せる代物じゃないと思うんだが、表面的、形式的には質問に対する答えとして全く書けてないかというとそうでもない。だから、とりあえず、まあ「可」を出しておくけれど、云々……」
情けは無用にしてくれ。あんたはひとりの成人した人間として、自分の人生観に照らして恥じない対応をしてくれたらいい。
無能な教授との不毛で忌まわしい記憶は、もはや深い奈落の海に捨てよう。
 
 
いいかい女医さん、冷静に考えてみてくれよ。
答案になってないのはそっちじゃないか。「答えが書けないから、とりあえず『おいしいカレーライスの作り方』など解説しておきます」なんてことで医学部の単位をもらったもんだから、患者に対してもそんな無責任な言葉しか吐けないんじゃないのか。
(えっ? 医学部はお気楽などこかの文化系とは違う? むむっ……!)
それはともかく、「どうもちがうように思います」なら、じゃぁ、何だと思うんだよ。君の仕事はそこから先じゃないのかい。それが『診断』だろう。
さあ、どうなってるんだよ、僕のこの身体は。
いくら温厚篤実な僕だって、いうときはいわせてもらうよ。
このときだってそうだ。ビシッといってやったとも。
「あのぅ、先生、猛烈な痛みなんですけど、心筋梗塞ということは……」
「心筋梗塞だったら、あなたはもう死んでいます」
これまたあっさりと、愛想も何もない、早く帰れとでもいいたげな、明快にしてありがたきご託宣。
ニトロはお守り?
そうか、彼女にとっては「お守り」は「気やすめ」と同義語なんだ。アインシュタインが、この膨張を続けている宇宙の、その発生の源、“芽”を創造したのは“神”だとしていることを、科学者のくせに知らないとみえる。
まあいい、女性だし、許そう。
 
 
そいつは本当にいつも、いきなりやってくるのだ。
24時間連続して心電図をとり続けたこともあったけど、結局は原因不明。
まさに奇病だ。
奇病といえば、ナルコレプシーも忘れられない。
通称“眠り病”。麻雀小説で知られた阿佐田哲也氏もそうだった。奇遇にも、同じ職場に同病の先輩がいて、しばしば卓を囲んだが、彼もまた、戦いのさなかにいつの間にか眠りこけてしまうのだ。
打ち手としては一定の水準を超えていたが、後ろで見ていると、居眠りして起こされる度に切り牌をよく間違えた。眠っても、眠っても、まだ眠い。そういうことなのだろう。気の毒だが、勝負師としては致命的というほかない。
麻雀をする人ならわかると思うが、あれはまさに戦い。真剣勝負だ。郷土出身の剣聖宮本武蔵ですら、生涯を通じての戦いの中で、一度たりとも、刃を切り結んでいる最中に眠り込んだことがあっただろうか。断っておくが、座頭市はあれは決して眠っているのではない。眠狂四郎にしても、彼は満を持して円月殺法という必殺技を仕掛けているのであり、ゆめゆめ眠っているなどと誤解してはいけない。文字通り、命取りになる。
恐るべし、ナルコレプシー。
困った病気だ。蟻地獄の底に滑り落ちていってるような錯覚に陥るのだという。だが、悪いけど、僕みたいな強烈な痛みは伴わない。奇病としてみた場合、まだまだ未熟。完成度が低いというべきか。どうせなら苦痛にのたうち回りながら、いびきなどかいて寝てみて欲しいものである。
 
 
自慢じゃないがこっちは、発作が始まると痛いのと苦しいのとが渾然一体となって、時には呼吸すら容易ではなくなるのだ。土足の事務所の床で背広が汚れるのも構わずに、無様に地に這うことだってあるのだった。
 
 
そんな僕だけど、うれしいこともないわけじゃない。
悶絶するように倒れた僕を、心配してくれる若い女性たちもいるからだ。
「お水を少し飲んでみませんか」
そういってくれた人がいた。しかも、これが予想以上に回復効果があった。
あ、いや、長い髪を掻き上げながら憂いをたたえた瞳で見つめられたからでは決してない。妻への永遠の愛にかけて違う。ここは、僕に微塵も邪心のなかったことをはっきりと断言させておいてもらわねばならない。でないと、あとで大変なことになってしまう。くどい奴だとお思いかもしれないが、これは極めて重要なことである。まあいい、弁解はこれくらいにしておくとしよう。
ともかく、彼女から手渡された水を口に含み、少しずつのどを潤していくと、あらあら不思議、まるで魔法にかかったように苦痛が和らいでいったのだ。
キーワードは、水。
定かではないが、経験的な対応策も身に付いてきて、最近では容易には発作が起きなくなるに至った。もちろん喜ばしいことこの上ないはずである。
なのに、どこかさみしい。
 
 
奇病も、本当は僕は、僕自身の一部ではないかと思いはじめている節がある。
それはいつも突然に、まるで夕立のようにやってくるけれど、考えてみれば、もしかしたら、僕はそれほど困ってるわけではなく、あるいはむしろ苦痛を楽しんでいたのかも。
本当は、いいやつかもしれない。
ダチというべきかも……。
たとえば、タイプの女性が近付いてきたとき、偶然にもやつが顔を出したとしよう。
ううっ、く、苦しい……。
「あの、どうされましたか。よろしかったら、お背中でもおさすりしましょうか」
あ、いえ、大丈夫です。どうぞ、お構いなく。
「そんな、お顔の色だって普通じゃありませんわ。ご遠慮なく、おっしゃってください」
ありがとう、でも大丈夫。いつものことなんです。わかってますから。
そうとも。
雑草は雑草なりに、ダンディーに決めるのだ。
うむ、そんなのも、ちょっとわるくない。
 
 
                               ムッシュ
 
興味あるかな?


 
 
 
   わだばベンチャーになる     1999/06/12

 
泥のように眠ってました、ほんと。
1週間の『新規創業者支援』の研修を終えて、昨夜遅くに帰ってきたんです。
23時15分岡山着ののぞみです。
のぞみで隣の席だった若い可愛い女の子は、いきなりシャープのメビウス? だかを広げてなにやら仕事を始めました。
27歳くらいかなあ。
僕は恥ずかしいから、PMさん労作のテープを聴きながらほとんど寝たふりをして、時々薄目の横目で様子を窺っていましたが、動作は快適そう。
きれいなカラーで、いいなあと思って。
でも、僕の場合は使いこなそうとしたら新たに無線な電話もいるし、プロバイダも、ビッグローブみたいな、全国にアクセスポイントを持ったところに入り直さないと意味がないから……。
 
 
プロバイダといえば、数年前に新規創業の資金を借りて始めたところが多いそうです。僕の入ってる「いちごネット」も、おそらくその口だろうと踏んでいます。
今回は、その新規創業の話です。
リストラやら何やらで、失業者が増えたため、お国が遂に立ち上がり、ベンチャー育成に、より一層力を入れるというのです。
融資制度も充実して借りやすくもなってるらしい。
創業者は大体貧乏と決まってますから、無担保でOK。
退職した人を開業させる『シルバーベンチャー』というのもあります。
ということは、なけなしの退職金を巻き上げる政策……か。
おっ、おそろしい……!
それでも会社を興したい人は相談に乗りますぜ、旦那!(^.^)
 
 
成功した人たちの話も何人か聞きましたが、普通じゃないです。
頭が切れて、いろんな事に気がついて、その対応が瞬時にできる人でないと成功しないなと思いましたよ。
だから、そういう人なら、会社にいても普通なら大切にされる人です。
リストラの対象になんかならないでしょう。
 
 
例えば、個人で洋品店をやってるとして、季節が春の終わり頃だったとして、その日の天気によって、半袖シャツと長袖シャツの配置を変えますか?
今日は暑くなりそうだなと思ったら、涼しそうな色を目立つコーナーに移動させますか?
成功した創業者たちにいわせれば、そういうことが、「情熱がある」ということのようです。
それなら、僕には情熱はありません。(^.^)
24時間ぶっ通しでは働きたくないです。(^.^)
 
 
創業支援のアドバイスで飯を食ってる人たちはみんな、「市場分析が大事だ」と声を揃えます。
まず、何が売れるか。
で、「売れ筋を見極めて、売れるものを作る」。極めて常識的ですよね。
でも、成功した人たちはいいます。
「自分がいいと感じたものを作る」。
リンゴの形のブリキのバッジが最初の商品だった「アップルハウス」の女主人。
彼女の考え方はこうです。
「例えばあなたがレストランを開いたとします。お客さんの好みは色々です。もう少し甘めの方がいいとか、もう少し薄味にしてほしいとか、そんなお客の感想にいちいち左右されていたら、あなたのお店の味はいったい何なんですか。お店のコンセプトは。それではあなたのお店の味、よそにはないあなたのお店だけの味は作れませんよ」と。
これはでも、細心の注意を持って聞く必要がありますよね。
危険な真理ですよ。
もともとがまずくて、その上で客の意見も聞かないじゃあ、これはもう救いようがありませんから。
どんな業種にしろ、市場の声には耳を傾ける必要があると思いますよ。でもそれだけじゃあ不十分だといってるのでしょう。
聞いた上で、そこをどう判断し、どう動くか。
根底に、卓越した頭脳を持っていることが条件になるんですよね。
要は、その人の実力なんだと思いました。
 
 
こんな人もいました。
山梨から東京の大学に出て、すぐに大学を中退しておばさま相手のホストをしていたというお兄さん。
いつまでもこんなじゃダメだと、昼間の勤めをしようと入った会社が宝石アクセサリー関係。
そこにしばらくいて、故郷の山梨が貴金属関係の本場であることを知り、思い切ってUターンして創業したというのんきなストーリーの持ち主です。
テレビで外国のトップモデルが身につけている透明なネックレスに興味を持ち、調べてみたら材質が釣り糸だった。
釣り糸は切れないから、PL法の関係もあるしアクセサリーとしては危険だと思って、コンタクトレンズと同じ材質を使って作ってみたんだそうです。
そいつを持って意気揚々と売り込みに行ったら、これが見事に売れない。
「そんなものだめです。売れませんよ」と、どこも相手にしてくれなかったそうです。
でもこの商品、僕は知らなかったんですが、いまは凄い人気で、ブームになってるらしいんです。
彼が東京で遊んでたころ知り合った人が、たまたまアムロナミエのスタイリストをしていたというんですよ。
この辺りから、俄然話が小説っぽくなるわけですけどね。作り話でもこうはうまく繋がらないでしょ。ここまで都合のいい話にしたら嘘っぽすぎますから。(^.^)
とにかく、彼女に会ってそのアクセサリーを渡して、翌日が、アムロが復活して最初のコマーシャルの打ち合わせだったというわけです。
場所は電通。その場で企画担当者に見せたら、たまたまこのネックレスが採用ということになって、コーセー化粧品のコマーシャルでアムロの胸を飾ることになった。それからはあっという間だったそうです。
それまではいくら頭を下げても相手にもしてくれなかった業者が、
「いやー、これですよ、**さん!」
(株)レイテストの、商品名は『ヌーディ』。
知ってました?
九州では「ヌージィ」という偽物も出現して、これで有名ブランドと並んだと喜んでいました。(ΘιΘ;)
 
 
彼自身、人脈の大切さを痛感していて、僕らの名刺をしきりに欲しがっていました。「この次はアパレルをやりたいので、相談に行ったときはよろしくお願いします」と。何県に進出するつもりなのか知らないけど。
確かにね、人脈が広くないとダメだなと思った例は他にもありましたが、彼のパターンは、とびきりラッキーなケースだと思いましたよ。
自分では、「テレビというのは本当に怖い。今回のことで、どうやったら売れるかがわかった」といっていましたけど。
どうなんでしょうかね。
 
 
ある専門家は、「失敗する人は自信過剰なところがあって、そんな人は何回やらせても失敗する」といってましたし、それが我が国での一般的な見方というか、そういう認識の元に融資制度も構築されているように見えます。
ところがここに、「ハンドフリーのイヤホンマイク」というものがあるんですよね。
どうも、これからの携帯電話には画面が付くらしくて、そいつを見ながら相手と話をするためには本体とはセパレートになったイヤホンマイクが必要不可欠なんだということなんです。それで、耳から外れないイヤホンマイクというものの特許を取って大手に部品提供するレールが敷かれているというベンチャーがいます。
彼はもともと体育系の人間で、人脈だけでソニーや松下と交渉して仕事をまとめてきた人だということですが、その彼が演壇に立ったときには、「日本は1回失敗したら二度と立ち上がれない。2回失敗した人間は3回目には成功する確率がずっと高くなるんだ。アメリカにはそういう例がいくつもある」を力説していました。
まさに、逆説的で見事なロジックだと思いませんか。
この際、倒産太りを狙う詐欺師の話は置いとくとしてね。
 
 
どう見ても頭がいいご面相ではなくて、不思議な気持ちで話を聞いていたら、おわりの頃になって、アメリカンフットボール時代の得意の人脈を駆使して、東大卒や私学の雄出身の、それも定年退職して暇を持て余している凄腕のおじさんたちをほとんどタダ同然で迎え入れて、色々なアイデアを出してもらっているのだと打ち明けました。
頭が切れる上に経験と実績を積んだ人間たちを、タダ同然で使っているのです。
ユニークな商品開発の工夫は彼ら頭脳の部分が知恵を出し合ってこなしていくのです。社長は、持ち前の体育系のバイタリティーと人脈で、押して押して押しまくって、ただひたすら売り込むのが役目。
警視庁や警察庁の無線にも、このイヤホンマイク型を採用してもらっていると自慢していました。
無線で支持を受けながら両手が自由に使えるわけですから、それもむべなるかな。
頭脳役のおじさんたちはもともと暇だから、お金はいらないから仕事をやらせてくれといってるそうです。
だからこの会社は、創業時点では平均年齢が20代の若い会社でしたが、いまでは60歳過ぎた社員が何人もいて、ずいぶん平均年齢が高くなったと笑っていました。
自分に唯一欠けていた部分を、彼はそういう形で補っていたのでした。
 
 
新規創業で成功する社長の必要条件は、実力(才能)と情熱とあとひとつ、『ラッキー』ということではないでしょうか。
それだけは、持ってこの世に生まれ出ている必要があります。(^.^)
あとの必要な要素は、人脈とか家族の協力とか資金とか、いずれもあなどれませんが、どうにかしようと思えばどうにかなる。自分になくても、なんとか外部から補えるものなのです。
 
 
あと、くれぐれも友人との共同経営というのはむずかしいからやめときなさい、とのことでした。
まあ、そういうことです。
みなさんの中に、もしも創業したいという人がいたら、計画の相談に乗ります。
そして、僕はおそらくあきらめさせるでしょう。(^.^)
 
 
蛇足ですが、タイトルは棟方志功の『わだばゴッホになる』からとりました。
彼こそはまさに、その道にあってはまったくもって斬新な境地を切り開いた、堂々たるベンチャーだったと思います。
 
 
ところで、のぞみで隣の席になった彼女は、取り立てて化粧っけもなく服装も普段着といった感じで、そういう意味でも、いいなあと思いましたが、残念なことに、京都で降りていっちゃいました。(^.^)
 
 
                              ムッシュ
 


 
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