コンビニで学んだこと       1999/06/24
 
 
単身赴任していると、たまにコンビニで買い物をすることがあります。
昨日も職場からの帰り道、翌日の朝食用のパンがなかったことを思い出し、スーパーマーケットも閉まっている時間帯だったのでコンビニに立ち寄りました。
 
 
パンを1個適当に取って、ふーらふらとレジに向かうと、くだけた服装のお兄さんが一人支払いをしている最中。
カチャカチャとキーをたたいていた女の子が、
「お待たせしました。全部で¢*☆◎▼◇♀円です」
ふむ、そうかそうか。
お兄さんも段取りよくお金を払って、
「#@☆円のお返しです。ありがとうございました」
ふむ、次は僕の番だな。
と、そのときでした。
無言で無表情のまま(背後にいる僕に彼の顔までは見えるはずもないのですが、全体的な仕草から、多分、ね)お釣りを受け取ったお兄さんは、普段の僕と同じような物憂い動作で、さりげなく、しかし素早く、傍らにあった透明な箱の中に、いま受け取ったばかりの小銭を全部投入して立ち去っていったのでした。
 
 
あわてましたよ。
動揺しながら、¥140のチーズクロワッサンをポンとレジに放り投げ、小銭入れから150円を取り出しました。
「ありがとうございます。147円いただきます」
受け取ったお釣りの3円を、僕も透明な箱に入れながら、複雑な気分でした。
箱に気が付いても、普段は僕は入れないのです。
基本的には、必要な福祉政策の財源はあくまでも公的なものの中から優先的に確保されなければならないと考えており、こうした私的な寄付とか募金とかはそれを受け取ることになるごく一部のみなさんからは喜ばれるにしても、全体的な福祉制度の熟成にとってはマイナスの効果をもたらせてしまうと思うから必ずしも賛成ではないのです。
 
 
でも、思わず知らず、お兄さんに習ってしまいました。
理屈を越えて、ただ純粋に、そのお兄さんの動きに打たれた。
飄々とした彼の、さりげない仕草に。
こんなのは本当はよくないんだという思いと、カッコイイお兄さんに追随することの忌々しさもありましたが、つい、僕も真似をしてしまったのでした。
 
 
いえ、それだけではないのです。
考えてみると、僕の負けなんです。
本当は、僕はもっと早くから、私的な助け合いにも参加しなければならなかったんです。
理論的にはどうであれ、現実問題として、いま、そういうのが必要な時代であれば。
走り寄って、抱き上げなければならない人がいるとしたら。
僕はまあ、お釣りの3円を入れるくらいのことしかできないけど。
この国では、あと100年経っても、福祉政策は貧困なままのような気もするし。
 
 
                                 ムッシュ
 
実は、これには後日談があります。
深山公園の道の駅まで行く途中で、このお兄さんの話を妻にすると、『若い人たちは小銭を持ちたくないだけなのよ』と、まるでお金の苦労を知らない未熟者め、みたいなことをいうのです。
もしそうなんだったら、感動して損したなぁ、ですよね。
どうなんだろう。
 


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