昼下がりの街角で U      1999/06/27
 
 
とんでもないものを見てしまった。
そう思いましたよ。
どう見ても、あれは万引きです。
まるで悪い夢を見ているような気分でした。
だって、場所が場所。よりによって、こんな昼下がりの、路地裏のアダルトショップで。
こっちは、人目を避けて素早く店内に入り込んだところ。さっさと目的のものを買ったら早々に退散したいと願ってるわけで、もともと、店内のほかのお客のことなんか関心はないんですから。
それが、なんということか。万引きを目撃してしまうなんて!
もちろん、見て見ぬ振りをするという手はありますよ。確かにそれは大人のやり方でしょう。
誰だってそうかもしれません。もちろん僕だって例外じゃない。でも、その時の僕はそうはしなかった。
仕事のことでストレスがたまり、多少攻撃的な気分だったこともあるし、その男が妙に小柄で、無意識のうちにくみし安いと感じていたことも、僕がそういう行動に出たことと関係があるかも知れません。
さりげなく、しかし少し早めの足取りで明確に出口のドアに向かっているその若い男に、つい僕は声をかけてしまったのです。
「ちょっと待ちなさい」
一瞬、小さな影が凍り付いたように硬直しました。米国リーバイスのジーンズが、ピクリとも動きません。気まずい沈黙。
盗んだ商品は、どうせ大したものではないに決まってるんです。中国かフィリピンあたりで委託生産した安物でしょう。
そもそも、こういうお店は主人が客に気を遣って奥に引っ込んでいることが多いんですよね。その分、僕らは気楽に品物を物色することができるし、もしも気に入ったものがあったらレジのところから奥の主人を呼べばいい。なぜ呼ぶかっていうと、多機能バイブのような値段の張るものは、鍵の掛かったガラスケースの中ですから。客に自由に動いてもらってはいても、一応は用心もしてるわけです。
だけど、鍵の掛かってないとこに並べてある安物だからといって、盗んじゃいけない。
 
 
本当に、僕にとっても重苦しい沈黙でしたよ。
昼下がりとはいえ、こういうお店ですから、照明はそれなりに落としてあります。
やがて、静止していた影が、ゆっくりと僕の方に顔を向けたその時、
「えっ……!」
今度は僕の方が固まってしまいました。
そこにあったのは、どうみてもまだ中学生か高校生の顔だったのです。しかも、ちょっと可愛い女の子!
「お願い、このまま行かせて」
小さく口ごもって、少女が顔を歪めました。
動転した僕が何も答えられないでいると、
「こうしないと、困るんです。お願い」
その言い方が少しだけ気にはなりました。まるで、誰かの指示でそうしているみたいな。
「あ、しかし、でも……」
「じゃ、あの、このまま黙っていっしょにお店を出てくれたら、夕方まで、おじさんに付き合いますから」
小さな声で、泣くように、とんでもない提案をしてくるのです。
正直、心が動きました。でも、それじゃまるで、ソープに上がり込んで散々サービスさせたあげくに女の子相手にお説教を始めるという、厚顔無恥なおっさんとおんなじになってしまいます。そんなことはできません。
「いや、元に戻すか、お金を払うかじゃないと」
関わりあいになった以上、もう僕も譲れない気分だったのです。
ずいぶん長い時間が経ったような気がしました。ほとんど両方とも、黙ったままでしたから。
にらみ合いというよりは、双方が当惑していたという感じでしょうか。
どうしていいか、わからなかった。
しばらく、凍り付いてしまった時間があって、困って……。
結局、その時、最後には彼女が折れてくれました。
自分で決断して、品物を返してくるからと、重い足取りではありましたが、それが元あった場所の方に歩いていってくれました。だから、もう僕はなぜかそれだけで充分な気持ちになって、それ以上その場所にはいなくて、すぐに店を出てしまいました。
彼女のことを、最後まで見届けたくなかったのです。
僕は警察官でも、補導員でもないですから。
どういう事情で彼女があんな真似をしなければならなかったのか。あのあと、本当に商品を返したのか。そんなことは知りません。
どんな人生観を持って、どういう人間を目指すかは彼女が決めることでしょう。
 
 
いまこの文章を書きながら思うのは、もしも願いがかなうなら、彼女といつか、街のスナックかどこかで偶然に出会い、僕はもちろん知らないふりをしていて、彼女の方から、
「お会いしたことがありますよね」
そんなふうに、話しかけられてみたい気分ではあります。
アダルトショップでの行為の理由などに興味はないけど、そういう状況からは解放されていて、自分の生活を手にしている彼女となら会ってみたい。
それは、僕のやったことが彼女にとってどうだったのか。それを確認しておきたい意味があるからです。何も事情を知らないくせに、ただ他人の人生をかき混ぜただけじゃないのか。本当に僕は、あれでよかったのか。
最後まで見届けなかったことが、果たしてどうだったのか。
いくら自問しても、僕にはわかりません。
経験深い人がいたら、誰か、どうか教えてください。
 
 
                                 ムッシュ
 


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