♪ 過ぎてゆくゥ〜ばかりだなァ〜僕の旅ィ〜 た〜ぴざきィ よォ〜どてェぱらァ〜あを〜♪ ぶちィ〜ぬかァれ ちゃァぁたね〜♪ 龍飛崎は、シンシアのB面でしたか? ん? シンシアのB面は我が良き友よだった? とにかく、何かのB面でしたよ。 でも、この歌と出会ってなかったら、僕は間違いなく龍飛崎には来ることはなかったと、確信を持って断言出来ます。 ところが、僕のめざした竜飛崎は、いまや粉々に砕け散っていました。 ネットで調べると、 「津軽半島の突端に位置する岬。龍が飛ぶがごとく、強い風が吹くことから龍飛崎と呼ばれるようになった」 などと書かれていますが、ほんまか? いつからそんなことに? 僕の遠い記憶では、岩が荒波に穿たれて穴がひとつ、ふたつと開いていて。 穴でなく岩の方に着目すると、まるで竜がクネクネとのたうったような形にも見え、いままさに天空高く飛び立とうとしている姿に見えたから、というものでした。 思い出しても、わくわくするじゃありませんか。 訪ねてみたくもなるわけです。 ところが、遙かな昔に写真で見たような岩は、何処にもありません。 太宰や棟方志功が泊まったという宿が観光案内所になっており、尋ねても若い娘さんがふたり。 こんな岩はありませんかと、ひげ面親父が追求しても、いっこうに要領を得ません。 そんな岩があれば、そして見えるとしたら、竜飛崎灯台からでしょうといいます。 上がってみましたとも。 良い子だから、丁寧に、ここからだったらどうかなと、ぬかりなく。 しかし、すべては徒労に終わりました。 竜飛の見所を幾つも紹介する展示看板もありましたが、どてっ腹をぶち抜かれた岩など、どこにも。 多くの観光客の皆さんは、灯台から見える岬の風景が竜飛崎だと思ってるわけでしょう。 竜飛崎の歌詞なんて、どうだっていいわけで。 失意を抱いて、再び観光案内所に戻りました。 困った娘は、「実は、海岸は埋め立てられているんですよね」と言い出しました。 え? いつごろ? 僕が写真を見たのは、小学生か中学生の頃だったはずなので、 「埋め立てがあったのは、40年くらい前?」 それに対して、娘さんの答は、 「自分たちが生まれる前だから正確にはわからないけど、35年くらい前かも」というもの。 そこに、地元の青年団長風のお兄さんが、お客を2人伴って3人で入ってきました。 さっそくこれ幸いと、娘さんたちがお兄さんを捕まえて。 彼女たちも必死。 お兄さんは、少し考えて。 そういう岩なら、なんちゃら洞門しかない、と明快です。 拓郎の竜飛崎も知っているといいます。 「竜飛崎よ 土手っ腹をぶち抜かれちまったね」というのも、洞門のことを歌ってるのだと思っていると。 地元の人たちは、通行に便利なように、海も埋め立てたが、岩も数多くぶち抜いたのです。 そのことを歌っていると思っていると。 それはそうかも知れないと思いましたよ。 岡本おさみ氏に聞くしかないけど、歌詞がどっちを書いたかなんて、僕には関係ないわけで。 僕のあの、波が連続で穿ち、竜のように見えた岩たちはどうなったのか。 問題はそこですから。 とはいえ、謎を解く鍵は、お兄さんのいうその場所のほかにないとわかり、肝心の場所を、根掘り葉掘り聞きました。 本心は、連れて行って欲しかったけど、敵はお客様をお連れしているところです。 無茶な要求は出来ません。 んで、行ってみました。 見つけました。 僕が見た写真の場所が、思い出の岩の変わり果てた姿かどうかは、いまとなっては不明です。 どことなく、連想させる場所ではありました。 海岸通りが埋め立てられ、想像ですが、波が穿った穴を、人間たちのエゴがさらに広く掘削し押し広げたのではないかと疑える洞門の、その海側にも波が穿ったままの岩が連なっています。 防波堤や、透明な強化パネルが邪魔ですが、記憶の中の風景の名残が感じられました。 ただ、穴のバランスが良くないし、残った岩の感じも、ちょっとちがいます。 残念っぽい、です。 あの写真の場所は、壊されて、いまや快適な道路になってしまったと。 そして地元の皆さんや、観光バスにとって便利になっていると、そういうことかな。 う〜む。 遙かな時を超えて訪ねては来たが、ものの見事にズタズタです。 まあ、うれしくなくはなかったけど。 だって、かすかな名残の部分には、辛うじて会えましたから。 昔の恋人だったら、特別養護老人ホームの寝たきりのベッドで横たわっていると聞いて訪ねてみたら、似てたが別人だった。 そんな感じでしょうか。 痛々しくてたまりません。 記憶の中の竜飛崎は、こんな感じでしたよ。 岬の先端から、いままさに竜が飛翔しようとしてる図。 実際には、潮の満ち干で見え方は変わったでしょう。 おそらくは、埋め立てられ道路の下になって。 風が強いから竜飛崎? 笑わすなよ。 それなら日本中が竜飛崎だよ。 人工的なトンネルの前に立って、土手っ腹をぶち抜かれちゃったねと謳うほど、感動を覚えますかね。 青函トンネルや黒部じゃないんだから。 確かに竜飛の洞門は、表面に手掘り感が残る味わいあるものではあり、観光案内所にも、洞門の巨大な絵が飾られていました。 完成度の高い、優れた作品だと感じましたよ。 そういう意味では、地元青年団長風のあのお兄さんの歌詞解釈も、まんざら、ないわけじゃないかも。 曖昧なままじゃ眠れないし、悔しいから調べましたよ。 すると、竜飛崎はやはりシンシアのB面で、1974年の発売ですね。 岡本おさみ氏は、ぎっしり歌詞の書かれたノートを拓郎に託すのでした。 拓郎がその中から、気に入った詞を選んでは曲を付けていた。 だから、作詞者が竜飛崎を訪れた時期はいつか。 ほら、レコードが出た1974年だって、いまから40年前ですよ。 観光案内所のお姉さんがいうように、35年くらい前に埋め立てられたのであれば、岡本おさみ氏は、やはり、僕と同じ本当の竜飛崎を観て、あの、波が穿った穴を抱えた岩を見て、この歌を書いたということになりますよ。 40年も前という、そんなに昔じゃないといってたから。 ただまあ、彼女が生まれる前の話で、彼女も自分の目で埋め立ててるところを見たわけじゃない。 とまれ、名勝をぶち壊してしまったんだから、「風が強いから」などと苦しい説明をするほかなかったんだろうけど。 いかにも苦しいですよね。 竜飛崎の語源については、ウィキには「名前はアイヌ語のタム・パ(tam-pa 刀の上端)の転訛(てんか)であるとする説がある」ともありますが。 |