朝早くから、朗報が飛び込んできました。 高校時代の友人だった、Nくんの消息がわかったと。 僕とは、お互いに不得意教科をアドバイスしあった仲というレベルを超えて、好ましい適度な距離感を保ちながら、いつも傍にいた感じの。 とはいえ、共に切磋琢磨したというのはおこがましいくらいで。 結果として僕が選択したのは、しがない地方の駅弁大学で、彼は押しも押されもしない天下の名門校に進み。 ただ、担任が「彼こそ親友と思う友がいる者は、その人の名前を書け」というアンケートを回したとき、彼が僕の名前を書いていたことをあとになって担任から聞いていたし。 でも、その後の長い人生でいろいろあったらしく、同窓会にも出てこないし。 昨年の同窓会で再開した進くんという男の言葉を借りると、 「同窓会に集まるのは、そういう人生を歩んだ連中だけなんだよ。わかるだろう」 行方知れずも同然だったのを、僕が会いたがってると知って進くんが調べて、電話で連絡してきてくれたのでした。 わかったのは電話番号。 「でも、いきなり電話をしたらびっくりするだろうからな。まず手紙でも書くんだな」 僕が、電話番号じゃ手紙は出せないじゃないかと振ると、 「104で聞けばいい。俺はあちこちに手をまわしてここまで調べたんだ。それくらい出来るだろう」 そういえば昔は僕も、エンゼルラインというソフトを駆使して、NTTの全国電話帳が登録されているサーバにアクセスし、カタカナ名前さえわかれば、電話番号だろうが住所だろうが、あっという間に検索してました。(注:このサービスは現在は廃止されています) 大学美術部の同窓会を初めてやろうと思い立ったときも、こいつが威力を発揮してくれたわけで。 今でも押入れから出せば出来るはずだけど。 モデムを内蔵した旧式のパソコンを電話回線に接続して使用するわけですが。 何台か古いパソコンをハードオフに持ち込んで処分したから、もしかしたらもう押入れの中には無いかも。 内心、もう使うこともないだろうと思ってた時期もあったから怪しいわけですが。 最近は個人情報の取り扱いが喧しくなったといいますか、便利な部分だけ廃止した感じで結果的にはどんどん不便になって。 逆に、知られたくない迷惑な部分は、巧妙に抜け穴が用意されていて、むしろ情報漏えいは拡大してるようにも思え。 政治や行政は、一体誰のために仕事をやっているのかと空しく嘆いてみるばかりで。 ともあれ、個人名の電話帳はいつの間にか配られなくなり、番号案内も、個人情報だから住所は教えられないと逃げを打たれたらどうしようか。 そんな心配を胸にアタックしてみたところ、案ずるより産むが安し。 友の住所も首尾よくわかり。 50年近い時空を超えて、胸を打つ手紙を、これから腕によりをかけて書かねばとワクワクしている朝。 春か夏あたり、18歳の僕らに戻れたら・・・。 そう胸をときめかせ、手紙を書いたのは今年の1月26日のことでした。 あれから春が去りいまや夏真っ盛り。 果たして文才及ばず、結果はむなしく待つばかり。 楽しみにしていた友からの応答はありません。 彼に何があったのかわかりませんが、これも人生なんだろうなと思っています。 (写真は卒業アルバムから。後列右から3人目で高らかに笑顔を見せている担任によると、ほかのクラスはどこもお行儀良く雛壇に並んでるのに、自分たちだけこんなクラス写真を出して大丈夫か、撮り直せといわれないだろうかと、内心ひやひやしてたと述懐しておられました。さもありなん) |