娘と彼女の就職について議論していて、少しわかってきたような気がしました。 戦後の物不足を体験し、厳しい競争の時代を生きてきた親たちは、自分たちのような経験だけは避けさせたいと願い、その結果として、みんな、○▲元禄と形容されるようなのんきな時代に成長期を持ち、精一杯優しく育てられてしまったのです。 そして、これです。 一部に例外的な人はいるとしても、およそ、彼女や彼たちの悩みは、『自分が何をやりたいのか、それがわからない』ところにあるらしいのです。 なんとも、ご立派なことです。 大学を卒業しようという年齢では、わからない方が普通じゃないですか。 これから本物の世の中について学んでいくわけなんですから。 ただ、そういうことと就職とは、似てはいても別の問題だと思います。 そう考えてほしいのです。 ふたつが、たまたま同じになったという人もいますが。 やりたいことを見つけたと思ってからでも安心はできません。 自分はこういうふうに生きてみたい。ペルシャ絨毯じゃないが、自分はこんな模様を描きたいと、そう思うところがあって努力していても、視野が広がっていくにつれて、夢中で追いかけていたものがいつか色あせて見えてきたりします。もちろん、つまらなく小さいと思えていたものが、光り輝いて見えることも。 そうして、僕らは少しずつ、あるいは大胆に軌道を修正し、成長していくようにさだめられているのです。 もしも若くして『これだっ!』と早合点して、運良くその道に進むことができたとしても、自分が思い描いていたイメージと現実とは大きく違うのが世の常。思い違いをするタイプは、『あっ、こんなんじゃなかったはずなのに』と、さっさと辞めてしまうのがオチです。 もちろん、金を稼ぐだけが人生じゃない。 ただ、大切なものは、なかなかそう都合よくは見つかりません。 そして、青い鳥を見つけるまでの間も食べていかなければならないし、そのためには働かなくてはなりません。 親鳥は、そういつまでも餌を運んではくれない。 だとしたら、就職を考えるときに肝心なことは、『自分は何をやりたいのか』ではなくて『自分は何ができるのか』ということ。 そのことと、相手が求めていることとの関係で、雇用契約が成立するかどうかが決まる理屈でしょう。 ほとんどの人たちは、目標が見つからないまま、やむをえず就職していくのではないでしょうか。 それが、自立するということでしょう。 生き甲斐というか、自分のやるべきことが見つかったら、そのときにまた人生を見つめ直したらいい。 こんな基本的なことなど、当然とっくに理解できているものと思っていましたよ。 物わかりのいい父親と、のんきだが優しい娘。そんな絶妙なコンビに見えていても、わかりあうって、難しいと痛感しました。 ムッシュ |