自分は何をやりたいのか      1999/07/19
 
 
娘と彼女の就職について議論していて、少しわかってきたような気がしました。
戦後の物不足を体験し、厳しい競争の時代を生きてきた親たちは、自分たちのような経験だけは避けさせたいと願い、その結果として、みんな、○▲元禄と形容されるようなのんきな時代に成長期を持ち、精一杯優しく育てられてしまったのです。
そして、これです。
一部に例外的な人はいるとしても、およそ、彼女や彼たちの悩みは、『自分が何をやりたいのか、それがわからない』ところにあるらしいのです。
なんとも、ご立派なことです。
 
 
大学を卒業しようという年齢では、わからない方が普通じゃないですか。
これから本物の世の中について学んでいくわけなんですから。
ただ、そういうことと就職とは、似てはいても別の問題だと思います。
そう考えてほしいのです。
ふたつが、たまたま同じになったという人もいますが。
 
 
やりたいことを見つけたと思ってからでも安心はできません。
自分はこういうふうに生きてみたい。ペルシャ絨毯じゃないが、自分はこんな模様を描きたいと、そう思うところがあって努力していても、視野が広がっていくにつれて、夢中で追いかけていたものがいつか色あせて見えてきたりします。もちろん、つまらなく小さいと思えていたものが、光り輝いて見えることも。
そうして、僕らは少しずつ、あるいは大胆に軌道を修正し、成長していくようにさだめられているのです。
 
 
もしも若くして『これだっ!』と早合点して、運良くその道に進むことができたとしても、自分が思い描いていたイメージと現実とは大きく違うのが世の常。思い違いをするタイプは、『あっ、こんなんじゃなかったはずなのに』と、さっさと辞めてしまうのがオチです。
 
 
もちろん、金を稼ぐだけが人生じゃない。
ただ、大切なものは、なかなかそう都合よくは見つかりません。
そして、青い鳥を見つけるまでの間も食べていかなければならないし、そのためには働かなくてはなりません。
親鳥は、そういつまでも餌を運んではくれない。
だとしたら、就職を考えるときに肝心なことは、『自分は何をやりたいのか』ではなくて『自分は何ができるのか』ということ。
そのことと、相手が求めていることとの関係で、雇用契約が成立するかどうかが決まる理屈でしょう。
ほとんどの人たちは、目標が見つからないまま、やむをえず就職していくのではないでしょうか。
それが、自立するということでしょう。
生き甲斐というか、自分のやるべきことが見つかったら、そのときにまた人生を見つめ直したらいい。
こんな基本的なことなど、当然とっくに理解できているものと思っていましたよ。
 
 
物わかりのいい父親と、のんきだが優しい娘。そんな絶妙なコンビに見えていても、わかりあうって、難しいと痛感しました。
 
 
                                 ムッシュ
 


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