如何に戦い勝つか(血液A型編)序文  1999/07/26
 
 
これは予定では、勝負事に勝つコツのようなものの話になるはずですが、はじめにお断りしておきたいことがあります。
まず、序文では、できるだけ競技種目を問わず共通しているかなという部分の話をしたいと考えています。必要に応じて個別の事項を話題として取り上げることになろうかとは思いますが、具体的な戦法や戦術については、原則として本論の方で詳細にふれる予定ですので、そちらを参照してください。
 
 
僕が就職した当時、職場における社会人としての必修科目は飲酒・囲碁・麻雀と決まっていました。
ゴルフが、まだお金持ちの道楽と考えられていた時代の話です。
事実、同じ職場の先輩に2人だけゴルフをたしなむ方がおられて、どちらもハンデ10前後で相当な腕前でしたが、どちらも「お養子さん」で、もらった給料は全部自分のお小遣い。一銭も家に入れなくていいという特殊な身分の人たちでした。
(すいません! お世話になっておきながら、ムッシュはこんなこと書いてますぅ。ごめんなさい。今度お会いしたときは、どうぞ遠慮なく叱ってやってください。>両先輩さま)
拙文毒をくらわばを参照するまでもなく、ゴルフというのは、それほど特殊なゲームでありました。
飲酒・囲碁・麻雀は、とかく人間関係の難しい職場にあっては、コミュニケーションをスムーズにするためになくてはならぬ必須アイテムだったのです。
少なくとも、一般にはそう信じられていました。
 
かつて、僕はアルコールは得意ではありませんでした。お酒はほぼ絶対に不可。ビールでも1本が限度なのに、楽しい雰囲気に酔ってはついつい限度を忘れ、あるいはまた、これっぽっちが飲めないのかと挑発されては意地になって飲み、コンパの度に吐いていたものです。
飲み会の幕切れは常に激しい嘔吐とお友達で、締めくくりは、枕元に水を置いてベッドでのたうち回っていると決まっていました。
とはいえ、生まれながらにして負けず嫌いなもので、結局のところ、お酒も修業しました。
いまでは、ウィスキーやブランディーは、もちろんストレート。水で薄くするということは、不味くするということですから。
余談ですが、ほら、僕などはもともとはアルコール分解酵素を持ってないわけですが、それでも訓練してたら、別の酵素が機能強化されてお酒を分解できるようになるんですよね。人間の身体って不思議です。
 
囲碁にしても、学生時代に麻雀で面子が余ったときの時間つなぎに碁石には触っていましたが、熱中していたのは連珠(五目並べ)であり、連珠は工学部の学生を中心にひそかなブームになっていて、腕に覚えのある学生たちは本など買って勉強もしていましたが、囲碁の方は最低限のルールを知っている程度で、打ったこともないに等しかったのです。
だから、いざ就職して、最初から自信があったのは麻雀だけ。
麻雀だけはすぐに評価されて? 腕に自慢のお客様がみえたときなどは、酒宴の時間帯はチビリチビリと待機していて、卓の準備ができたころを見計らっては目覚め、勤めを果たしたものです。
「ここには少しは打てる職員がおられますね」と、喜んでくださるお客様でないと難しいですけど。僕は誠実にお相手を務めますから。
 
この、麻雀というのは、基本的には確率のゲームです。初心者にコーチしているときの様子を端から見ると、さながら確率の講義のようだと思います。
すべての牌は4枚ずつ。その内で河に捨てられている牌はすべて見えています。これらはもう使えません。あと、打ち手たちが手の内に隠している、一般的に有用と考えられる牌にはどういうものが多いか。その人が何を捨てているかである程度手の内の牌を推理することが可能になります。それらを把握した上で、まだ見えていない、山に積まれたまま残っているもののなかには何があるのか。何が出てくる確率が高いかを考えます。
それはもちろん攻撃面だけの話であり、むしろ麻雀の神髄は防御にあるといってもいいくらいなんですけど。
ともあれ、そのあたりの濃密な技術論は本論に譲るとして、いまこの序文では触れません。
 
しかし、そういう、「技術」だけでは何一つ語ったことにならない。技術だけでは勝てないという不思議なところが麻雀にはあって、それが古来、世界中の男たちを魅了し、堕落させてきた所以なのです。
それが麻雀です。
その、技術だけでないところにあるのが、「ゲームの流れ」というものでしょうか。
単純に「運」だという人もいますが、その運の動きを冷静に見極めて、勝負に出るときか引き下がるべきかを誤りなく判断せねば、勝利をつかむことはできません。いいかえれば、ゲームの流れを見極め、如何にして勝勢に乗るか。
これです。
流れをつかんだら、もうあとは怖れることはありません。女神はすでに自分のサイドにあるわけですから。逃げないで、前に突き進むだけでいいのです。
勝負のあやは、この、いつ流れをつかむか、その見極めにあるといってもいいと思います。
 
ここで血液型の話が出てくるわけですが、この場合、A型はじっと辛抱して待つタイプが多いように思いました。じっと動かないで、自分の流れになるのを待っているのです。
イライラしないで、ミスを犯さないでねばり強く待っていれば、いつか、流れが自分のものとなるときが訪れます。それを逃がさないでしっかりとつかみさえすればいいのです。
「待ちの姿勢」を貫くことは、耐えることでもあります。
初心者は、耐えきれずに動いてしまいがちです。戦いのさなかに動かないで「待つ」ということは、簡単なようで、実際の戦いの中では容易ではありません。
 
付け加えると、流れをつかんだあとで気を付けねばならないのは、敵に情けをかけないこと。相手を討ち取れるのに見逃してあげたりすると、メンバーの実力が伯仲しているときは、一気に敗勢に追い込まれます。それはある意味で驕りですから。勝負に驕りは禁物です。戦略上の意図を持って見逃すことはありますが、そういうのは別として。
 
 
就職して囲碁をやるようになって、これはまあ、ルールが簡単な分、手の意味を理解するのに、というよりも、囲碁というゲームの意味そのものを理解するのに膨大な時間がかかりました。
そして、ようやく最近になって、これも「待ちのゲーム」なのかなと思うことがあります。
長い道のりですが、いつかチャンスが来る。それを、じっと我慢して、動かないで待っているみたいなところがあるのです。
碁を覚えたときは、「陣地を広く囲った方が勝ちのゲーム」と教えられ、せっせと動いては、少しでも広く囲おうと画策していましたよ。でもそれだと、初段の壁は抜けません。仮に運良く2段までいっても、それ以上は望めません。
それまで積み上げてきた、囲碁観を一旦捨て去る必要があるのです。
一度、自分を壊す。
囲碁は「囲」という字を使いますが、その実、囲い合いではないのです。本当は戦いです。盤上の宇宙に展開されているのは、兵士たち。あるのは、強い石と弱い石だけです。石が強ければ戦い、弱ければ守る。あるいは、可哀想だが見捨てるという選択肢もあります。捨て石作戦。肉を切らせて骨を断つというわけです。
 
基本的には戦いですから、序盤は自陣を強化して弱い石を作らないことに徹します。相手がせっせと陣形を広げていても、じっと耐えて待つことが大切です。
当然のことながら、味方は狭く見え、相手はとてつもなく広く思われ、一刻も早く敵陣に飛び込んで暴れなければ後れをとる、と焦ってしまいます。でも、ここが肝心なのです。敵陣の広さに焼き餅を焼いたって、ろくなことになりません。
もちろん、ケースによってはタイミングを見て切り込むことになりますが。
 
例えば仮に、相手の陣地の中に切り込んでいく、その時がきたとしましょう。
石を交互に打つということは盤上にある石の数は同じということですから、広げているということは、見方を変えると隙間が多いということ。
隙あり! です。
一方、味方は硬く打って不当に陣地を広げたりしていませんから、守備面では何の心配もなく、心おきなく戦えます。
それに対して相手は弱いとこだらけ。だから慎重に攻撃目標を見定めたら、そこを集中的に攻める。あるいは、相手の薄い陣形を分断することによって弱い石を作って、そこを叩く。東を攻めるふりをして、実は西に総攻撃をかける準備をしているというパターンもあります。東を攻めるふりをして、西の退路を断っているのです。
これらのほかにも、攻撃のパターンはほとんど無限といってもいいほどです。
あとはもう一気呵成、攻撃して攻撃して攻撃しまくっているうちに、もう石を打つところがなくなって、並べてみたら自分の陣地の方が結果として広くなっていた。
これです。
 
そういうことがわかるようになって、囲碁が昨日までとは別のゲームに思えてきたら強くなった証拠なのです。
機が熟したと思ったら、一気に行く。しかし、それまでは我慢して待つ。
どうですか。僕は似ていると思うんですけど。
 
 
待つということは、流れを読むことでもあります。
丁半ばくちですら、賽の目の流れを読みますから。
僕はこれは、本当に、勝負事の基本だという気がしているのです。
そういうわけですから、本論には大いに期待していただかなければなりません。
えっ?
書く気もないくせに?
ううっ、鋭いっ。
 
 
あとがき
タイトルに、なぜ「A型編」と付したかというと、僕の生涯の強敵といってもいいタイプに、「痩せたO型」というのがあるからです。苦手ですし、多分負け越していると思います。
O型には、僕は2種類あると考えています。まんまるい太ったタイプと、痩せたO型。そして、圧倒的に数は少ないけれど、後者は、凄いくせ者という印象があるのです。
いま具体的に思い浮かぶのは2人ですが、麻雀の打ちぶりをうしろで見ていても、明らかに僕とは異なる、攻撃的な手を選ぶ瞬間がありました。ひとりは卒業して医者になり大学病院にいますが、僕みたいに自然体で待つのではなく、無理にでも流れを引き寄せようと動いているのが明らかなのです。そして、実際、強引に流れを引き寄せてくる。見事です。でも、その呼吸が僕にはわかりません。
だって、ただがむしゃらに動いていたのでは、必ず負けますから。
 
いつだったか血液型の話になったとき、医者になる前のその男がポツリと呟きました。
「A型は運命に流される。O型は運命を切り開く」と。
まったくその言葉どおりに、迫力のある男でした。
僕も彼の言葉どおりに流され、流れ流れてずいぶん遠くまで来てしまいましたよ。
彼が何者で、どういうことを考えているのか、僕にはほとんど見えていませんでした。
そういう意味でこれはA型編としました。
戦い方としては高級だと思えるし、勝率も悪くないはずですが、必ずしも最善ではないかもしれないという自戒を込めて。
 
 
                                 ムッシュ
 


前の話へ戻る 次の話を読む
 
【1999後編】目次に戻る
 
【夢酒庵】に戻る