「ビートルズの103時間」    2006/08/24
 
 
NHK総合、21日夜10時から。
観ましたか?
 
僕と似たような時代をすごした多くの人たちには、懐かしく、もしかしたら面映いような番組だったことでしょう。
少なくとも、僕はそんな気分でテレビ画面を眺めていました。
あのとき僕は、元憲兵の厳しい父の庇護下にあり、とても東京まで行くことを許してもらえるとは思えなくて、最初からあきらめていましたが、特に仲の良かった友達は、お金持ちの家庭の甘えん坊だったから、何とかしたいと画策していました。
とはいえ、ビートルズのことをそんな風に思っていたのは、僕らのクラスでは僕と彼くらいのもの。
50人で2人です。
本当は、そんなものでした。
番組でも、忌野清志郎に仲井戸麗市が同じような話を向けていましたよ。田舎じゃそんなものでした。
フォークソングだって、多分、関心があったのはクラスで5、6人くらいのものでしたから。
 
 
ま、そんなにふうに、「ビートルズの103時間」を楽しんだあと、その翌日、野地秩嘉氏の「ヤァ! ヤァ! ヤァ! ビートルズがやってきた」を読みました。
手をつけたのは21日ですが、実質的には、読んだのは翌22日といっていいでしょう。
すると、番組の方が、いかにつまらないダイジェストだったかが、すっかりわかってしまいました。ガッカリです。
 
伝説の呼び屋・永島達司氏。
彼と彼を取り巻く当時の芸能界、そして日本という国。
様々な人間たちの道がそこで複雑に交差し、短くも濃密な時間が流れていきます。
番組では、そうした歴史の真実から毒を抜き、人々の思いを加工し、気の抜けたビールのように仕立ててありました。
宿舎となったホテルでの報道陣とのインタビューにしても、テレビ番組の中では、「失礼な質問が飛んだが、彼らは上手に斬り返していた」、みたいなナレーションでした。
本には具体的に書いてあります。
 
 
 
「さて、ところで君たちは大人になったら、いったい何をするつもりなんだい?」
 質問を聞いたポール・マッカートニーは怒った顔になった。彼は質問した記者に人差し指を突きつけ,さらに詰問した。
「そこの君だ。チャーリーだか誰だか知らないけど、君の質問はジョークのつもりなのか。それとも僕らが子供で大人じゃないと言いたいのか」
 ポールに名指しされた「チャーリー」はへどもどして答えた。
「まあ、ジョークのつもりで聞いたんだけど」
 マッカートニーは言い放った。
「そう。顔を見てみれば君こそもう大人じゃないか。わざわざそんなくだらない質問をするなんてとても大人とはいえないね」
 
 
一刻も早く読んでみたいという人は、アマゾンで入手も可能です。
著者の「野地秩嘉」で検索すると、「ビートルズを呼んだ男」というタイトルも並んでヒットします。
タイトル部分以外はまったく同じ装丁に見えるので、前者が初版本で後者は再版本のときにタイトルを変えたのかなというのが僕の想像です。違ってたらゴメン。
もし想像どおりなら、個人的には、タイトルについては、後者に軍配を上げたいと思います。
 
どっちにしても、ビートルズの話は、核になってはいますが、簡単に言うと、『伝説の呼び屋・永島達司氏の物語』です。
 
 
 
 
あの武道館での彼らのコンサートの最終日の模様はテレビ放送され、僕らは田舎で興奮しながらブラウン管に噛り付いていたはずですが、いま振り返って不思議に思うのは、導入部など番組としてのイントロ部分の映像はある程度鮮明に蘇ります。いわゆる企画構成というか、演出の部分。でも、肝心の彼らの演奏シーンは、なぜか、ほとんど覚えていないのです。思い出せません。
その後のどんどん洗練されていく彼らの音楽の印象の方が、インパクトが強かったからなのでしょうか。
わかりません。
 
最後にひとつだけ付け加えておきたいことがあります。
「ビートルズの103時間」というあの番組については、せめて最後に、何らかの形でこの本のタイトルと著者名がクレジットされるべきだったと思う、との声を聞きました。
まったく同感です。
 
 

 
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