運の不思議についての考察    2006/07/01
 
 
  ♪ 運がいいとか 悪いとか
      人は時々口にするけど
     そういうことって たしかにあると
      あなたを見てて そう思う…
 
 これはさだまさし氏の無縁坂の一節です。
 運というものは存在するのか。
 本当は、そのことを議論する前には、まず「運」という言葉の定義をしておく必要があるわけですが、それはこの際省きます。内容を読み進める中で、ああ、こういうことを運と称して話をしているのだなと、そういう形で理解していただければ、と思います。
 
 運のことを強く意識させられた最初は、麻雀の場でした。
 囲碁や将棋でも、時には「運が良かったです」などと相手に声をかけることはありますが、それはある意味、社交辞令。そこには負けた相手に対する配慮があります。
 逆に、負けたときは、自分が弱かったから負けたわけであり、そのことを自覚し、勝利を手にするために一層研鑚を積まねば、と素直にそう思います。
 一般に「運が左右する」といわれている麻雀も、実は同じなのです。強い者が勝ち、弱い者が負けます。ただ、それはあくまでもマクロの話です。トータルで見た場合は、必ずそうなるわけです。
 短期戦のひとつだけ取ってみると、必ずしもそうはならないことがありますから、運が勝敗を左右するという人もいますが。つまり、麻雀だって、実力の世界であることに変わりはないのです。
 
 ところが、運の話はここから始まります。
 麻雀の世界では、しばしば奇妙な現象が発生しました。
「その壁を背にして座って勝った者がいない」
 ある下宿では、そういわれている席がありました。僕も座りましたが、最悪の席でした。まるで呪われているみたいに、手がどんどんと腐っていきました。傷を最小限にとどめるために、ただもうひたすら耐えるしかない感じでした。
 
 また、麻雀には「運の流れ」というものがあり、ある意味では、これを奪い合うゲームだといってもいいほどです。勝運をいかにして引き込むかが、ゲームの真髄だともいえます。
 そのため、序盤は、ロール・プレーイング・ゲームでいう経験値を高めるための戦いのようなものだったりします。いま刃を交わしているその一局は、大きな流れを掴むためにはあえて捨ててもいいとさえ考えながらゲームを進めます。
 そのかわり、そうした地味な前哨戦を適切に戦い、いったん勝勢を掴むと、そこからは怒涛の勢い、おもしろいように勝ち進むことが出来ます。これは本当に不思議です。有効な牌が次々に無駄なく入ってきて、逆に危険な牌はまったく来なくなりますから、防御に余計な神経をすり減らすこともなくなります。
 麻雀の世界は宇宙を表現したものだ、といったような話を聞いたことがあります。この摩訶不思議な世界に、僕は人生の前半の大部分を捧げました。
 本家の中国では、少なくとも僕らが学生だったころは、「亡国の遊戯」として固く禁じられていると聞きました。
 魔性のゲームといっていいでしょう。
 
 囲碁や将棋の場合は、それとは異なり、「智」が勝敗を支配するゲームだと考えていました。
「兄貴は頭が悪いから(将棋指しにならないで)東大に行った」と語ったという話で有名な将棋の米長邦雄九段は、50歳で名人の座に就かれたことで話題になりました。特に将棋の場合は、脳が柔軟な若い世代でないとタイトルが取れないと思われているほどの過酷な世界ですから。
 ちなみに現在のタイトル保持者は、
【名人】森内俊之35歳、
【竜王】渡辺 明22歳、
【王位・王座・王将】羽生善治35歳、
【棋聖】佐藤康光36歳ですから。
 しかも、羽生さんは現在は3冠ですが、1996年には、史上初の7冠。将棋界のタイトル完全制覇を達成しましたから。
 その米長九段が、名人位獲得後に書かれた本が、「運を育てる」です。
 その中で、「兄貴は…」の話は友人の故・芹沢八段の作り話だったと明かしておられますが、本題の運を育てる話は、大いに傾聴に値する内容でした。
 あと一歩のところまでは行けても、最後の最後に、手が届かない。ほかのタイトルは手にしても、名人位にだけは縁がない。本当に、自分は名人位だけは取れないのか、縁がないのか! そんな悔しい思いを繰り返し、遂に、最後の壁を越えるためには「運が必要だ」と考えるに至り、そして氏の凄いところは、その運は、自分で育てられると考えられたところでしょう。
 ぜひ一度読んでみてくださいとお願いしても、おそらく読まない人がほとんどだろうと思うので、誤解を恐れず、あえて大幅に簡略化して説明すると、要するに、早い話が…
 自分を律して、心清らかに行動し、なによりご先祖様を大切にし。
 言い換えれば、人間としてどうあるべきかを考える。(考えてるつもりでも、考えてることになってない人が多いから問題なのですが)それぞれの局面で、人としてどう動くべきかを、冷静に謙虚に、正しく考える。そういう話なのです。
 俺を誰だと思ってる。天下の米長であるぞ。そんなおごり高ぶった気持ちはサラサラなく、若手で低段の、時には自分の弟子に対しても○○先生と呼び教えを請うのです。
 つまり、真摯に自分を磨くことが運を育てることにつながるのだと。
 
 繰り返しになりますが、ロール・プレーイング・ゲームでも、小さな戦いを積み重ね、実力を養い、経験値を高めてからでないと巨大な敵には立ち向かえませんから。
 麻雀だって、無敵の強運を呼び込むまでには、それまでの前哨戦でやるべき前さばきの応酬がいくつもあります。
 人生だって、自分を高めるための努力をコツコツと積み重ねてこそ、女神が微笑みかけてくれるのでしょうから。
 
 ということで、味方に付けたら百戦百勝の「運」を、手にするのも失うのも、自分次第なのかもしれませんね。
 信じる?
 
 
 

 
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