僕が小学生のある一時期、糸電話に凝っていたことがあります。 凝っていたというと、聞きようによってはなんだか知的な印象を与えてしまうかもしれませが、別に糸電話の秘密を科学的に解明しようとしていたわけではありません。 つまりは、ただ夢中になって遊んでいたというだけの話なんだけど。 家業は繊維の卸問屋でしたから、従業員のお兄さんやお姉さんが何人かいて、そんな人たちを片っ端からつかまえては糸電話の片方を持たせ、「もしもし、僕ですよ」などとやっていたわけです。さぞかし周囲は迷惑だったことでしょう。 そんなある日、いつもの遊び場だった近くの神社に行くと、ともだちが蝉時雨降り注ぐ日陰の石段の片隅に、まるで真冬の猿団子のように固まって座っていました。 団子の中心にいたのは、見知らぬお兄さん。 「いいものを持ってるなあ」 彼は、僕が手にしている糸電話を見て、まぶしそうに目を細めました。夕陽がそろそろ石段を赤く染め始めたころではありましたが、まぶしそうにしたのはそのせいじゃなかったと思います。なんだか知らないけど、懐かしそうな目をしたんです。 いまから思えば、彼は旅の手品師で、それまでみんなにいろんな魔法を、おそらくは練習がてらに披露していたのでしょう。 その神社は県道沿いにあり、すぐ隣の家の人が一応管理人みたいなことになってはいたようですが、普段は無人で、時々見知らぬ人が、宿代わりに泊まっていたようでした。板間に屋根が付いただけのような建物が、祭りのときには神楽舞台になります。おそらくその人も、その日はそこで雨露をしのぐつもりだったのでしょう。 夕暮れが迫り、ともだちが一人また一人と帰ったあとも、僕は神社にお兄さんといました。 「糸電話が好きなんじゃなあ」 「うん」 本当はもうそれほどでもなかったし、むしろ、そろそろ飽きてきていたころでしたが、とりあえず普通に相槌を打ったように思います。 「お兄さんは手品使い?」 「見たとおりだよ。まだ大したことないけど」 それから僕らはいろんな話をしたんだと思います。そして僕には、お兄さんは迷っているふうに思えたのでした。 「それ、ちょっと借りてもいいかな」 彼はそういって糸電話を手に取ると、しばらく、右手に取ったり左手に取ったりして眺めていましたが、 「ほ〜ら」 急に押し殺したような声を発したかと思ったら、彼の手から糸電話が消えていました。 「すごい。どうやったの!」 お兄さんはそれには答えないで、 「また出そうか?」 そういって、何かを問いかけるように、試すように、僕を見つめ返したのでした。 神社の境内が、夜の薄闇に少しずつ包まれていって、僕の大きな節目の夏が終わろうとしていました。 |