清水義範氏は、NHKがテレビやラジオで常用しているいわゆる共通語について、全国どこでも通用する便利さゆえに、「使いたければ使えばよい」としながらも、この共通語といわゆる方言とを、まるで主従の関係にあるような捕らえ方をするのは間違いだと指摘しています。それよりなにより、そもそも、方言という呼称が良くない。むしろ、長い歴史と文化に育まれ伝えられてきた、こっちの方こそが本当の日本語ではないかと。 名古屋出身の氏は、そういった趣旨から、名古屋弁でなく「名古屋語」と称されています。 それに習い、備後の国出身の僕は、「備後語」について語らねばなりません。 びんごご、かぁ。気をつけないと、舌を噛んでしまいそうで怖い。「備後弁」の方が言いやすいのになぁ。 さて、まず、備後語と名古屋語との間には、いくつかの不思議な共通点があります。 具体的にいうと、「あなた」は名古屋語では「おみゃあさ」です。 これが、備後語では「おみゃあ」になります。「さ」は「さん」。敬称です。言葉づかいの乱暴な備後では、敬称は付けません。 「こりょーやーたなーおみゃあきゃあ」みたいに使います。 (これを焼いたのはお前ですか) この例ひとつ示しただけで、賢明な諸氏はいち早くお気付きかと思います。 名古屋語の代表的な特徴である「にゃあ」。清水義範氏はあえて「ねゃあ」と表記すると宣言されている、あれです。 あれが、多少使い方のニュアンスに於いて微妙に異なる部分があるとはいえ、備後語の中でも中心的特徴として受け継がれているのです。 「僕の分がにゃあが」(僕の分け前がないじゃないか) 「こんなぁぼれえきみゃあがええ」(こいつはとても気前がいい) まだまだありますが、類似の事象をいたずらに繰り返し並べ立ててみてもあまり意味がない気もします。先を急ぎましょう。 ♪ 古い自転車にちっちゃな箱積んで ジンジャカやってくる 紙芝居屋のあのおやじは もういない これは岩井宏の「紙芝居」の一節ですが、子供のころ、どこの街に行っても、紙芝居屋のおやじはいました。僕が小学生のころの話です。それどころか、中学生になって、僕は紙芝居屋のおやじの自宅を発見してしまいました。小さな路地に面したその家は、道沿いの窓が開けられていて、部屋中に紙芝居のセットが所狭しと並べられていました。 そのときは、凄い秘密を発見した気分でした。ここが紙芝居屋の家だったのだと。でも、思うと、あれは紙芝居屋のおやじの家ではなく、紙芝居屋のおやじたちを束ねる元締めの家だったのではなかったかという気がしています。紙芝居のセットが大量すぎますからね。 少年時代に僕らが待っていた、自転車に乗った大人といえば、そんな紙芝居屋さんとあと、氷屋のおやじです。 夏になると、彼もまた重家用といわれた強固なつくりの自転車に乗って、チリンチリンと腰の鐘を鳴らしながらやってきたものです。鉋を逆さまに固定した台の上に氷の固まりを乗せ、シュッ、シュッ、ごりっ、ごりっ、と削ります。時代劇に出てくる夜鳴き蕎麦屋のセットをもう少し小ぶりにしたようなものを、自転車の荷台をまたぐように乗せて。 その氷屋のおやじが、秋から冬になると、おでん屋になりました。 これが美味しかった。 このおでんが、また、清水義範氏に「名古屋でおでんといえば味噌おでんのことであり、名古屋でわざわざ味噌おでんという人はいない」といわしめた、あの味噌おでんなのでした。 子供たちが遊びながら食べやすいようにと、串に刺してあるのですが、おじさんは渡してくれる直前に秘伝の味噌に浸けるのです。 もちろん、僕が少年時代には、おでんといえば味噌おでんのことでした。いわゆる関東炊きが夕食の献立に並び始めたのは、高校生になってからのことだったでしょうか。 警察関係にお勤めで全国を転々とされた方と再就職先で席を並べていますが、その人によると「名古屋の味噌汁は赤味噌です」とのことでした。これが清水義範氏によると、「名古屋味噌は赤っぽく赤だし系である」とあります。 赤だし味噌と赤味噌は別物。僕の知る限り備後には、赤味噌、白味噌、中味噌(中間配合か)とありましたが、我が家に限らず、味噌汁は赤味噌仕立てだったはずです。 う〜む、これは似てるのか、似てないのか。 ま、いいか。 長々と書き連ねましたが、名古屋の国と備後の国とは、何らかの文化的えにしで結ばれているように思います。 もちろん、一部分だけですよ。瓜二つとはいってません。「ぎゃあも」とか、いわないし。 ただ、言語文化の生き証人であり言語学の宝の山でもあるはずの本当の日本語が、共通語に席巻されて消えつつあることだけは確かです。 最後に、共通語に対する清水義範氏の言葉を引用してペンを置きます。(というのも変ですか。キーを叩いてるのに) 別に、日本語として正しいわけでも、身分が高いわけでもないのだ。 あれは必要上生み出された便宜的な日本語であるにすぎない。 |