やあやあ、遠からん者は音にも聞け。 近くば寄って目にも見よ。 我こそは……! 戦国時代には、こういうのが武将たちのいくさのスタイルだったと教わりました。戦場で互いに高らかに名乗りを上げ、正々堂々と一騎打ちを挑むのだと。 そういう戦いぶりが事実だとしたら、そこには、命をやりとりする場での武士固有の作法があったということになります。武士としてのいくさの作法です。その根底にあるものはおそらくは武士道であり、そしてその精神は、現在の剣道にも脈々と受け継がれているようにも思えます。 しかし、命をかけての戦いである以上、そんなきれいごとばかりだったとも思えません。剣の流派にしても、上体を低く構え相手の足ばかりを狙う流派が存在し、彼らは戦場では相手から嫌がられたという話を何かの本で読んだことがあります。なるほどなと思いました。一撃で命を取るまではいかないまでも、相手の戦意を奪うには効果がありそうです。僕が仮に腕に覚えのある剣豪だったとしても、戦いたくない相手です。 足ばかり狙うというのは、一見すると卑しい戦法のようですが、見方を変えると、かつてバント攻撃で全国制覇した箕島高校を想起させます。投手と1塁手と2塁手とを結んだ三角形の、ちょうど真ん中に図ったようにボールを転がすのです。彼らのプッシュバントは鮮やかで、芸術的ですらありました。 箕島高校にたとえることは箕島高校に失礼かもしれないと心配ですが、ともあれ、面や胴で一刀両断するだけの華麗な技量を持ち合わせない剣士にとっては、小技で地道に戦うしか生き残る道はありません。 これは某町役場の友人から聞いた話ですが、草野球で、相手に凄く速い球を投げるピッチャーがいて誰も打てなくて、仕方なく何人かバント攻撃を続けてみたら、その投手が明らかにバント処理を嫌がっている様子が見えて、これだ! ということでコツコツと転がし続けて、最後には大逆転したということです。バントの構えをされる度にマウンドから駆け下りないといけないし、上手く処理してアウトに出来たとしても、それを何回も続けられると不愉快なものです。投球のリズム、気持ちのリズムを崩されると、特に速い球が武器のピッチャーは、ストライクが入らなくなりますから。 そういえばプロ野球の世界でも、全盛期の槇原を我が広島カープが執拗なバント攻撃で攻略し、膝かどこかを痛めさせたこともありましたね。槇原はその試合で何回目かのバント処理の時バランスを崩して立てなくなり、仲間の選手の肩を借りながらマウンドを去ったのでした。まさに、足ばかり狙う流派です。 長谷川が大リーグでイチローと対戦して、2001年のシーズンは3打数2安打だったと笑いながら、「イチロー君はホームランがないから怖くない」といってました。打たれたビデオを再生して見せながら、ほら、ショートがこんな所にいるからいけない。本当なら内野ゴロですよ、と。 愚か者め! ですね。 足を切られたくらいでは、命までは取られないといってる。部分的には、確かにそのとおりでしょう。でも、内野安打で出たイチローは、2盗3盗する可能性があります。そのことを意識するとピッチングにマイナスの影響も出かねません。イチローにピッチングを崩され、次打者に長打を浴びる羽目になるのです。でも、もしそうなっても、長谷川はイチローにやられたとは思わないんでしょうね。幸せな性格です。 確かに、足を切られたくらいでは致命傷にはならないでしょうが、少なくとも自在には戦えなくなります。そうなれば、自分より弱い相手に対しても不覚をとる。 でも、相手の足ばかり狙う侍というのは、本当は日本人は好きじゃないのかもしれないんです。何よりも、戦う姿勢が美しくありません。なりふり構わない相撲は、舞の海以外はやっちゃいけないことになってますから。全打席、全球フルスウィングを旨とする中村紀洋の美学とは、全く対極にあるスタイルですよ。 (それにしても中村の凄さは、あの潔さの中にありますよね。なにしろ、見ていてほれぼれしますもの。) いや、日本人というのは、なぜか戦いの中にも美学を求めたがる民族なのだといいたいだけでして。 かくして、徳川家の天下になり平和が続くと、ますます剣術の様式化が進んで、相手の足ばかりを狙うこの実戦的な流派は次第に廃れ、歴史から消えていきました。 すべからく剣の道は、礼に始まり礼に終わる。 神道流、陰流、中条流が剣の三大流派といわれているようです。ほかにも念流の系統や、居合いの系統があるようですが、詳しく知りません。神道流の系統では塚原ト伝(新当流)、陰流の系統では徳川幕府お抱えとなった柳生(柳生新陰流)、中条流の系統では、真空切りの赤胴鈴の助の師匠として漫画にも描かれた千葉周作(北辰一刀流)が有名どころでしょうか。 江戸神田お玉ヶ池には、その千葉周作の道場もできて、そこでは坂本龍馬(小栗流)が教えていた時期もあったりしたということで、こうした町道場には町人も入門し、みんなが剣をとおして心を磨いたのです、多分…。剣は心であり、なりふり構わずという戦い方は剣士として許されない振る舞いとなりました。 時は移り、経済が狂喜乱舞した昭和元禄が終わりを告げて、バブルも華々しくはじけ、予想もしなかった困難な時代になりました。 天の利あらずして敗戦を自覚したら、城主たるもの、自らの命を敵に差し出して、長年忠誠を誓い尽くしてきてくれた家来たちの助命嘆願を申し出たものです。城主が自分の命を守るために何千何万もの家臣の首を切るなどという世が来ようとは、もののふの時代には想像も出来なかったことでしょう。いわばこれは、もはや恥の文化が通用しない現代の乱世です。 もし生き延びたければ、腕に覚えのある武将や剣豪の素質がある人なら北辰一刀流もいいけど、非力な僕らは、せめて上体を低く構えて、足を狙って…。 |