転がれてないかも知れないけど    2002/02/12
 
 
ホームページを作りたてのころは、トップページに置いていた言葉−−。
現在はリンクの部屋の暖簾がわりに使っているのが、【動かない花になるな 転がる石になれ】です。
ローリングストーンズのバンド名は、この言葉に由来していると聞きました。
吉田拓郎もこの言葉が好きみたい。
 
敗戦後の日本に生まれて、みんな、競争の中に放り込まれて、少しでもむずかしい高校を目指して、そして、少しでもむずかしい大学を目指して勉強しました。
どういう仕事について、どういう人生を送りたいのかなど考えることもなく。
まるで運動会の徒競走のように。
「君は、将来は何になりたいんだい」とは、友達以外からは聞かれた記憶がありません。
振り返れば、ただ流されていただけだったように思えます。
大学の4年間、ほとんど教室に行かなかった代わりに、キャンパスや街でいろんな人と出会い、いろんなことを考える時間を持ち、おかげで人間が変わりました。
本当に大切なものが何なのかという絶対的な答を見つけたわけじゃないけど、とにかく転がり続けたいと思いました。
転がるとは、ひとつの言い方としては、自分の意志で自分の時間を支配すること。
ただ流されていくだけで、そこに自分の意志が介在しなかったら、それは転がってることにはならないんだと思います。
 
最近は、イメージしてるほどには転がれてないのかも知れません。
あと数年したら、自由になる時間はふんだんに手にするわけですが、時間を支配するには、大きな意欲が必要なのです。挑む心が。
肉体の老いと、心の老いとは、関係があるのかないのか……。
ふと、脳裏をかすめる誘惑は、自分自身はお仕舞いにして、これからは誰かを転がしてあげること。
髭でも伸ばして、何もかも分かったようなポーズを決めて、転がし上手を目指そうか。
正直、そんな気になることもあります。
でもね、それじゃ誤魔化してるようで、すこぶる気分が良くない。
若いころのような勢いはなくなっても、いつまでも転がっていた方が自分らしいと思います。
ぶざまでもいい、まだまだ転がってやるぞ!
 
 
ところで、今朝起きると、腰に鈍痛がありました。
何かをしてる最中にギクリと痛くなった経験はこれまでにもありましたが、今回のように、腰全体が鈍い痛みに包まれたのは初めてです。
時間が経っても容易に治りません。
職場で、椅子からおそるおそる立ち上がろうとするだけで痛みが走ります。
でもね、こういう症状は聞いたことがあります。何人もの諸先輩方から拝聴しました。どこにでもある、さして珍しくもない安物の腰痛でしょう。
でも、どうしたらよいのでしょうか。
そっとしてたら治るのでしょうか。
とりあえず、これじゃあ転がれないなあ。
 
 

 
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