あれは、東京支社の事務所の片隅だったと思います。 男たちはみんな、テレビの前に群がっていました。 ルーツ監督から古葉がチームの指揮を引き継いだその年、広島カープ初優勝の瞬間でした。 みんなのうしろで、僕ひとり涙があふれ、とまりませんでした。 そのときマウンドにいた金城投手は、あっさりトレードに出されます。 古葉という人の、温和な顔とは裏腹な冷徹さを感じたのは僕だけではなかったはずです。 しかし、そのおかげで、赤ヘル軍団と称される強いチームの時代が続きました。 優勝をフロックにしなかったのは、彼のこの冷徹さあってのことでしょう。 投手力に支えられ、勝ち続けるカープ。 日本シリーズで『江夏の21球』として語り継がれることとなったあの場面で、江夏は、古葉監督が次の投手を準備しているのを目撃して激怒したと打ち明けています。俺は何なんだ、と。俺はストッパーじゃないのか。 しかし、それは選手江夏のサイドから見てのことであり、監督として、次を準備するのはやむを得ないケースだったかもしれません。 そこが、古葉監督の冷静さであり、冷淡さであると思うのです。 兄貴と慕われた山本浩二監督の時代は、その正反対の指揮ぶりでした。 選手たちの気持ちを大事にし、役割を与え、あとは選手に任せるというパターンを守りました。 いくら調子を落としていても、一度ストッパーと決めたら、最後はその投手に試合を預けたのです。 打たれても、打たれても、かつて守護神と呼ばれたその投手が出てきました。 その時点での力を見極めての選手起用ではなく、名前で使っている感じだった印象がありました。 打たれても、打たれても。 思えば、ファンには辛い時代でした。 現在の達川監督は、どんなタイプといえるでしょうか。 現役時代は、トリッキーなプレーに定評があるキャッチャーでした。 ピンチに強打者を迎え、力のある投手なのに、大打者を前にしてビビッてしまい、気持ちが逃げているなと感じたら、達川捕手は、投手よりも速いのではないかと思えるような球を投げ返したものです。 そして、何回も何回も、腕を強く降る仕草をして見せました。 コントロールに注意するあまり、腕が縮こまってしまうことのほうが怖いんだと。もっと、しっかり腕を振って、玉を切るように投げ込んでこいと。 その人柄から、球団上層部にも人気がありました。だからこそ球団に可愛がられ、二軍監督から、カープの最高指揮官にまで登り詰めたのでしょう。 しかし、監督になってからの彼は、僕には別人に見えます。 解説者時代の達川氏には、まだ、現役捕手のころの曲者的な色が感じられましたが。 どうもいまでは、大監督を目指しているような采配ぶり。 総合力じゃ、金権独善球団には勝てるわけないとしたら、無責任な言い方を許してもらうとしたら、もっとトリッキーな戦略を取り入れて戦ってもいいんじゃないでしょうか。 いえ、がんばっていただけさえしたら、それでいいんですけど。 ああ、今年のペナントレース、どうなっていくんだろう。 |