あるときは吉田拓郎を、あるときは泉谷しげるを、またあるときは加川良を歌いながら、ずーっと僕は自分の気持ちと照らし合わせていました。 岡林信康、五つの赤い風船、高田渡、井上陽水、小室等、RCサクセッション、古井戸、ケメ、かぐや姫……。 多くの場合、いつも彼らはみんなの代わりに歌ってくれていたように思います。 大人たちの理不尽さや、同世代の内包していた矛盾、愛や、自分の狡さや弱さについて。 みんな、同じ時代を生きていました。まわりの誰もが、それぞれにもがき悪戦苦闘していた時代。 別の人生のはずなのに、彼らの歌は、不思議に僕らの暮らしそのもののように思えました。 あれからずいぶん遠くまで歩いてきましたが、いま振り返ってみても、まぎれもなく、僕らが若くて一番濃密だった時間。 そんなころ好きだったフォークソングを歌うのは気分が悪いはずもなく、仕事に疲れては、僕もよく路地裏のスナックで歌っていましたよ。 歌うだけでなく、そんな気分の文章も何回か書きましたし。 勇猛に戦っていた時代を思い、あふれくるものを懐かしみ懐かしみ、胸に抱いていたのです。 大切にしているアルバムの、その一ページをめくるように。 でも、そういうのはもうやめようと思います。 僕らはまだ戦場にいるからです。 どうかしていました。まだゴールしたわけじゃないのに。まだ昔を懐かしむときではないんです。 いま必要なのは、気持ちを高め鼓舞する激しいロックのリズム。もしも優しい歌なら、いっそ誰かを温かく包んであげられるような歌かな。 フォークギターはハードケースに仕舞って、またあのエレキとアンプをかび臭い押入の中から出さねば。 いつの間にか魔法にかかって、眠ってしまっていたような気がします。 目ざめてしまったからには、もう、懐かしむだけの歌は歌わない。 大好きなフォークソングは、いまはまだ歌わないつもり。 |