さみしかったら帰っておいでと…    2002/08/06
 
 
まだ学生だったとき、長い夏休みの間など、時間をもてあまして孤独と付き合っていると、耐えられなくて、無性にふるさとに帰りたくなることがありました。
そうなると、大学生とはいえまだ子供ですから、もう止まりません。
 
 
でも、家に帰ると不思議が待っています。
というか、ふるさとは魔法の国ではありませんでした。
もちろん、母親は驚きの表情で、息子の突然の帰省を喜んでくれました。
どっぷりと懐かしい備後弁に浸り、夕食にはごちそうが並びます。
母親にしてみたら、いまさら抱きしめるわけにも行かず、せめて料理に腕をふるうくらいしか、愛情表現のすべはなかったのでしょう。
しかし、そういう母親の気持ちを感じてしまうと、なんとなく、好きでもない女の子から告白されたときにも似た憂鬱さに包まれ、ブルーな気分になり、最初の2、3日は居心地がいいけど、すぐに不満の芽がむくむく。
なんとなく、傷ついた心をいやすため…みたいな気分で帰ってきたのに。
もっと穏やかな気分で、ゆっくりしたかっただけなのに。
これは、僕が求めていたものとは違う、と。
夕食の席で毎回繰り返される父親の自慢話が、そんな気持ちに追い打ちをかけます。
そうなると、もうふるさとには居れません。翌日には、母親のさみしそうな顔を振り返りもしないで大学に戻るのでした。
これが性格だとしたら、厄介な性格です。
 

当時から30年以上経った今、気付くことがあります。
大学に戻った僕は、帰省前の精神的に不安定な状態からは、すっかり立ち直っていたということです。
家に帰る前は、別人のように弱々しくナーバスになっていたはずなのに、いつの間にか元の、生意気で傲慢な、鼻持ちならない自信家に戻っていましたよ。
 
心の中のふるさとは、ちょうど夢中になっている恋人のようなもので、どんどん自分の中で勝手にイメージを作りふくらませていった架空の世界です。
だけど実は、ふるさとは空想の国ではなく、帰ればそこには現実が横たわっています。
そういう意味では、ふるさとは若者に都合のいい魔法の国ではありません。
だけど、当時は気付かなかったけど、ふるさとは流石にふるさとです。現代の科学では説明の付かない、何か不可思議な力が存在しているのかもしれません。
両親だけではなく、今の自分に繋がるご先祖様たちが見守ってくださっているとか。
わかりませんが…。
正直、何もわかっていませんが、心静かに振り返れば、やはりそこは、不思議な癒し空間だったかもしれないという思いは否定できません。
 
 

 
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