洪水は心を繋ぐか    2002/07/28
(コミュニティーについて)  
 
どうも、岡山の人は教養が高く、個人主義的で、みんなで一緒になって盛り上がるというよりは、ひとり静かに自分の時間を楽しむのが好きな人たちだといわれてきました。
そして、そうした評価は大体において的を得ているという感じがあります。
 
その点について、岡山は昔から災害が少なく、そのために、地域で力をあわせて土嚢を積んだり、共同で何らかの防災対策を講じたりという体験を積んでないからだという、あきらめにも似た指摘があります。家族を守るために、地域でスクラムを組む、ということがないから。
そうかもしれないと思っていました。
岡山は晴れの国。災害の少ない地域です。
そのせいかどうか、みんなで盛り上がるということが、確かに、ほとんどありませんから。
 
僕は岡山育ちではありませんが、子供のころから個人主義的な傾向はありました。妙に気の合う限られた友達とは時には友情を超えて、あやしい共犯関係になったりもしましたが、大勢で盛り上がったという記憶は、大学時代にのみ、それも数えるほどしかありません。
岡山育ちではありませんが、僕が18歳まで過ごした故郷も、岡山同様に温暖な瀬戸内海気候に恵まれ、これといった災害のない、穏やかで眠ったような街でした。なるほど、なるほど。災害説が指摘するとおりの環境にありましたとも。
そういう意味では、自分の性格に適合した土地柄、風土を得て、互いに呼び合うようにして根を下ろしたといえるのかも知れません。
例えば南こうせつのコンサートでも、彼が岡山に来ていくら会場を盛り上げようと声を張り上げても、僕や周りの人たちは、拳も突き出さなければ、立ち上がりもしません。
 
君の歌が聴きたくてここに来ているんだから、それだけで充分じゃないか。
そんなふうにして無理に僕らをいじったりしないで、君は君の仕事として、さあ、歌い始めてくれよ。
多分そんな気持ちで、彼の2曲目を待っているのです。  
 
 
いま都市近郊の町では宅地化が進み、その一方で、同時に過疎化が進んでいます。
都市近郊の町では、周辺町村からの流入があるから人口としてはさほど減少してなくても、その町に生まれ育った人たちは、いつまでもはそこにいません。
表面的には過疎化とはいえなくても、そこで生まれた若者たちの多くは町を出ていくという現実があります。
そんな町で仕事をしていて感じたのは、町に残った若い人たちの心の繋がりの強さでした。
子供のころから一緒に遊び、多分たまには喧嘩もして、過去を振り返ればみんながみんな必ずしも好きなヤツばかりじゃなかったはずなのに、仲間たちがどんどん町から出ていって、結局ふと気付くと自分たちだけがそこにいて……。
想像ですが、こういう状況が、コミュニティーを作るのかなあと思ったのでした。
 
兵庫県の友人の家を訪ねたときも、そこは中国山地の過疎の村でしたが、若い人たちの活動には情熱的なものを強く感じました。みんなが、それなりに、地域のために力を注いでる。岡山県との県境にある、標高の高い村です。洪水の起こりようもない上流地域です。
いま冷静になって考えてみたら、昔はいざ知らず、最近は河川改修だって進んでますよね。洪水だって、もう何十年に一度しか起きませんから。 v(^_−)
 
 
 
 

 
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