節目と目標と     2000/01/01
 
 
精神にエネルギーが満ちあふれているときには意識しないで、衰えに気付きはじめると意識しがちになるものがあります。
なぞなぞの答は、『節目』とか『目標』とかいうものです。
 
「目標」はともかく、「節目」なんて、ほとんど意味のないものでしょう。
あれは、普通は単なる通過点。
長い間そう思っていました。
二十歳の成人式にも参加していません。
誰からもマイクを向けられなかったから黙っていましたが、何歳になったからといって昨日と今日との間に劇的な変化などあるわけでもなく、別に特別な感慨などありませんでした。
 
「節目」を初めて意識したのは、まったく最近のことです。
まだですけど、実はもうすぐ結婚25周年でして、やがて職場からも、そのお祝いとして大枚が届きます。
本当に長かったです。
人並みに危機もありましたし。
真剣に妻と別れようと思い、会話の途絶えた家庭の中で這いずり回りながら、一方では、気になる女性も。
あ、いえ、その、なにもありませんけど。
ただ、いろいろ考えていました。
ああ、こうしてみんな別れていって、新しい人生を切り開いていくのだな、と。
間違った結婚をしてしまったことは仕方がない。そこからどう人生を修正していくことができるかが問題なんだと。
大切なのは過去じゃない。未来なんだと。
 
もちろんいまは、あのとき別れていなくてよかったと心から感じています。
そして、あと少しで……。
もしかしたら、僕が初めて感じる大きな節目かもしれません。
確かに通過点には違いありませんが、これだけは、そういってしまいたくはない。
 
 
少し感傷的になりすぎました。
思うに、「節目」はしかし、あくまでも結果論です。
たまたま、流れでそうなったに過ぎません。
それに対して、「目標」というのは少し違うでしょう。
目標というと、僕は、過酷なトレーニングを続けるマラソンランナーが思い浮かびます。
何か目標があって、そのために計画を立てて、努力する。
僕は本当のことをいうと、目標を持つというスタイルがあんまり好きではない少年でした。
なぜなら、「目標」は自分を縛る。制約し拘束する。そういうイメージと裏腹ですから。
勉強にしても別に嫌いじゃなかったし、やりたいからやるということでなければ、人生のスタイルとして自然じゃないし、嫌でした。
大学受験の時は計画こそたてましたが、目標を設定したつもりはありません。
まわりに逆らって強がっていたかったのかもしれませんが、ある意味では、目標というものを設定し活用するのが上手ではなかったともいえるでしょう。
 
それが、これも「節目」と似ているのか似ていないのか、最近になって、精神的なパワーの衰えを感じるようになると、なにかとりあえずの目標みたいなものがないと、なかなか身体がいうことをきかないといったことが起こるようになってきました。
これには困ります。
だから、仕方ないから、僕の内なる魂に、小さな近い将来の目標を考えて、いまいましいことだと思いながらも……。
こういうのは、本当は僕のスタイルじゃないんだけどな。でも、まあ、こういうのはこういうので、状況次第では別にいいかぁ……と。
目標を置くとがんばれるということぐらいはずっと以前から知っていましたよ。
ただ、そういうやり方が好きになれなかっただけなのです。その目標にしたところで、人生の通過点にはちがいないわけだし。
 
なんというか、腰が曲がってくると、歩くには杖があった方がいいですよね。
そろそろ、杖がわりの「目標」が必要な歳になってきたということでしょうか。
節目にしても、節目ごとに気分転換ができて気合いが入るとかであるなら、自分で強引に好き勝手な節目を考えては、その度に大いに祝杯をあげたりして。
ああ、そういうのもちょっと悪くないなあ。
 
 
                                 ムッシュ
 
 


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