昨年は、水ぬるむ3月ともなると、睡蓮鉢の表面には、生まれたてのメダカの赤ちゃんたちが、チロチロ動いていたものでした。それなのに、今年はというと、もうやがて6月になろうかというのに、稚魚はゼロ。 今年も毎週土日になると、水草を入れ替えてました。つまり、全体の水草を半分に分け、半分を、メダカさんたちがいる睡蓮鉢から、何もいない水槽に移すのです。1週間後には、その安全な水槽で卵が孵化したら、役目を終えた水草を元の鉢に戻し、1週間のうちに産み付けたと思われる残りの方の水草を水槽に引越しさせるのです。こうしないと、メダカは自分が産んだ卵まで食べてしまうらしいのです。昨年はその方法で何匹も誕生させ大きな成果をあげていたのに、今年はまったくだめ。不思議なことです。 それで、昨年と今年との違いを考えました。 あれこれ考えて、疲れ果てました。白メダカさんは、僕がもたもたしてる間に、2匹だけになってしまっていました。 絶望的な気分のとき、ふと、何かがひらめきました。そして、ものは試しと、やおらパソコンを立ち上げたのでした。 Yahooのトップ画面を開いて、「メダカの卵」と「タニシ」といれて検索をかけました。すると、案の定というか、いくつもの悲しい結論が僕の目に飛び込んできたではありませんか。検索にヒットしたサイトでは、メダカのオーナーたちが異口同音に、「なんとタニシのヤツがメダカの卵を常食しているではないか」と憤慨していました。ああ、なんと言うことでしょう。そうとも知らず、僕は…。 わざわざ旭川の清流まで足を運び、タニシくんたちを我が家に連れ帰ったのは、誰あろうこの僕でした。タニシが鉢の藻を食べてくれるので、庭に置いたままでも水が緑色に濁らないと聞いたからでした。メダカを育てておられる方の、ホームページから仕入れた知識でした。 事実、それはそのとおりで、メダカとタニシと浮遊性の水草と、鉢の中央に半分沈めたイネ科ふうの水辺の植物との4者の絶妙なバランスにより、小さな鉢は見事に自然循環し、いつまでも透明な水面を保っていたのです。 けなげなタニシくんたちには、ご褒美に白菜なども与えましたとも。タニシくんたちは、うれしそうに、白菜が筋だけになるまで、丁寧に食べ尽くしてくれていましたし。僕らの間には、確かな信頼関係が築かれていたと、そう思っていたのに。 だからこそ、会う人毎に勧めもしたのに。 ああ、愚かな思い込みでした。 まさか、このような裏切りにあおうとは。 遅ればせながら、今日のところは、白メダカさんと青めだかさんの鉢の水を替え、タニシを排除しました。底の小石たちもしっかり洗いましたよ。鉢もゴシゴシして。 でも、多分、完全には排除できていない気がします。彼らは彼らで、たくましく生き抜こうとしていますから。小さな、まるでメダカの卵と見まちがうほど小さな透明に近い、貝の赤ちゃんを何個も見ましたから。そやつらが、水草の葉の中に隠れるようにしがみついていましたよ。 考えさせられました。 まるで人生です。 いえ、人としていま僕のなすべきことは、そんな述懐ではありませんよね。 未熟者が、親切そうな顔をして無責任なアドバイスをしてしまいました。申し訳ありません。 ただ、ただ、伏してお詫び申し上げるのみです。 数が増えた種類は、ある意味、あるがままでいいのかなぁ。本当は、そうかもしれません。 赤メダカと黒メダカは、昨年の繁殖で現在すでにたくさんいて、差し上げてもいるんです。だけど、多分、僕には耐えられないでしょう。残りの鉢も、明日、タニシを川に放します。 ふぅ〜っ。 わからないけど、自然って、残酷。 |