不愉快の虫    2004/12/19
 
 
 最近、大いに不愉快です。
 たまにめずらしくご機嫌な時間帯でも、ほんの些細なきっかけで急に大噴火しそうになります。
 もちろん、本当は些細なことではありませんよ。命にかかわる種類のことではないにしても、日ごろの暮らしの中では大切なことですとも。生きている意味にも関係してきますから。
 とりわけ、芸術や文化のことは、特に、ゆるがせにすべきではありませんよ。でも、一々腹を立ててたらきりがなく、出会う人出会う人について、その心がけの悪さや思い違い、過ちを指摘したり、正しく教え導いたりしている暇はありませんよね。いえ、たとえ時間的に許したとしても、そういう人たちの多くはすでに手遅れ。治りません。教え導いてあげようと考えること自体が、無駄です。
 ああ、思い出して、また不愉快になっちまったじゃないですか。
 
 仕事をしてても、激しく不愉快になります。
 ああ、少し前までは、無礼な中年ですら優しく包み込んであげてたのに、あの僕はどこに行ってしまったのでしょう。似非人格者、遂に正体を現す! の巻です。
 故郷の母に対しても、母に勝手なことをされるとすこぶる苛立ち、つい、冷たい言葉を浴びせてしまうことがあります。
 囲碁対局の場面でも、相手の卑怯な振る舞いに対して、普段なら笑って諭す程度なのに、最近は時として無性に突き上げるものがあり、冷酷で残忍な気持ちになり、徹頭徹尾打ちのめしてしまいます。  
 
 ギターや打ち込みなどは、ひとりの遊びだからいいのです。気分が乗らなければ投げ出すだけですから。絵もそうです。創作意欲がわくと道具を出してきて、集中できなくなったら道具を仕舞うだけですから。それは昔もいまも同じことです。
 でも、そんなひとり遊びのシーンですら、実は、何かが変化してきているように思うのです。
 若いころは、過剰なほどに自信に満ちていて、心も猛々しく、巨大なキャンバスの前でも、パワフルな筆遣いで一気に描き上げるというやり方が常でした。年を経るに従って荒々しさが薄れ、時間がかかるようになってきましたが、その分、精神的な粘りが出てきて、円熟味が増し、繊細な画風へと変化していきました。
 まあ、それが大人の芸というものでしょう。(ニンマリ…)
 
 それが、不愉快の虫を飼い始めてからというもの、絵を描いていても、幾分粘りが少なくなってしまったように感じています。もしかしたら、これも脳内物質セロトニン分泌が関係してるのかなあ。
 そう思って調べてみましたよ。
 
 【セロトニン】
 脳内の神経伝達物質のひとつで、必須アミノ酸であるトリプトファンの代謝過程で生成されるもの。ほかの神経伝達物質であるドーパミン(喜び、快楽)、ノルアドレナリン(恐れ、驚き)などの情報をコントロールし、精神を安定させる作用がある。セロトニンが不足すると感情にブレーキがかかりにくくなるため……。
 
 やっぱりか。
 でも大丈夫。対策は講じましたから。
 春になったら、復活しますよ。
 だけど、それまでは、ちょっとこわいよ!
 
 
 

 
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