オリンピックを憂う    2004/08/21
 
 
 テレビを見ていて、たまたまその番組のあさましさに不機嫌の虫が目を覚ましたものだから、つい、
「やっぱりテレビは視聴率の呪縛から逃れられない、大衆に迎合する宿命にあるからダメなんだ」
 といってしまいました。
 その途端に、娘から手厳しい突込みが飛びます。
「じゃ、お父さんは何なの? 大衆じゃないの? 自分だけ偉いと思ってるの? そういうところが嫌い」
 多分、そのときのその言葉だけじゃなく、日ごろからの僕のふるまいや発言に対して、彼女の中で折に触れ減点ランプが点灯していて、そのポイントが少しずつ着実に加算されていて、その日のその瞬間にリミットをオーバーしたということなのでしょうけど。
 そういえば、その昔、村田英雄の「みなの衆」という歌がヒットしていたころ、高校の国語の先生が「わしらを馬鹿にしているようで嫌いだ」といってましたよ。思い出しました。気をつけねば。
 あ、もちろん、そういう言葉づかいの問題じゃないんです。わかってるんだけどね。
 
 と反省したそばから、懲りずに危険な話題に触れようとしています。
 それは、オリンピックでの、日本選手大活躍に関する報道の仕方についてです。
 確かに谷亮子選手の成績は素晴らしいし、インタビューの受け答えを聞いていると人間的な素晴らしさすら感じますが、しかし、彼女は2連覇。一方の野村忠宏選手は3連覇です。しかも、日本人百個目の金メダルという節目を飾った選手でもありました。その野村が新聞の一面にならないというのは、谷選手の方が多くの人たちが喜ぶに違いないと報道各社がこぞって判断したからにほかなりません。
 
 高橋尚子選手は、マラソンで金メダルを取って国民栄誉賞を受賞しました。
 陸上競技は体力的に恵まれない日本選手にとっては不利な競技であり、一方の柔道は日本のお家芸である点を踏まえた場合、高橋選手のみが評価に値するという考え方だったと思います。
 しかし、今回、やわらちゃんは2連覇したのだぞ、という声があります。もういいだろう、彼女にも国民栄誉賞を出せと。
 ちょっと待ってください。野村選手は前回のオリンピックで2連覇を成し遂げてもそんな話題は出ませんでしたよ。しかも、彼は今回で3連覇です。それでも一面は「田村でも金、谷でも金」のやわらちゃん。
 
 視聴者を著しく過剰に意識したニュース担当者や国民栄誉賞選考担当者を更なる混乱が襲います。
 それは、水泳の800m自由形の金メダル。
 2冠の北島に国民栄誉賞との声もあがっているとかいないとか、そんな中での突然の快挙です。
 いや、もしかしたら、全く混乱してない可能性もあります。重要なのは視聴率、つまり人気、知名度だと。いままでどおり、テレビの前の多くの人々が喜びそうな順番に並べたらいいと考えているかも。地球の片隅でふてくされている偏屈親父がいくら御託を並べても放っておけばいい。抗議の電話が来たら(電話なんかしないけど)バラエティ番組ですからと笑い飛ばせばいいと。確かに、テレビ画面はタレントたちが占領していますし。
 でもしかし、本当にそれでいいのか。
 Qちゃんのとき、マラソンの金メダルは特別だといったのなら、水泳800m自由形の金メダルは特別じゃないのか。
 さあ、どうするんだよ。
 日本の女子選手の体力を考えると、マラソンと同様に、予想も出来なかった快挙ですぜ、旦那。
 
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 そこまで書いて、いつもの囲碁喫茶に出かけました。
 常連のゴルファーたちも賛同してくれて、「そうそう、確か、新聞の見出しは『野村も金』だったぜ」
 一同で野村の不運を喜びつつ、僕としても同志を得て溜飲を下げていたら、誰かが、
「凄いことをやった連中には、みんな、全員に国民栄誉賞をやればいい」
 まったくですね。
   
 
 

 
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