言葉に関する懺悔     2000/05/26
   
 
著作権については、パソコン通信時代に散々書きましたし、もういい加減にしてくれよといいたい気分なので書きません。
もっとも、あの当時からいえば法律もどんどん変わっていったし、時代も変化していきましたから、また、今この時点で議論してみることは意味がないわけではないかもしれません。
しかも、ウィンドウズの登場により、誰もが簡単にパソコンにさわれるようになって、みんながインターネットに入り、多くの人たちが自前のホームページを持つようになってくると、今一度著作権の話を蒸し返してみることも必要なタイミングなのかなという気もします。
でも、今回は、しません。
 
 
高校の文芸部で部員たちの詩の批評会をしたとき、作品の中に「蒼い梢で」というフレーズがありました。
臆病で多感な少女の心が、蒼い梢でふるえている。そんなイメージの詩でした。
でも、ちょうどそのころ、僕らのごく近くに、萩原朔太郎の詩集があって、その中に、蒼い梢でどうしたこうしたという作品もあったのです。
批評会の席で誰かに指摘されて、作者は驚き、恥ずかしい気持ちになっていました。
もちろん、創作過程では、彼女はそのことに気付いていませんでした。「蒼い梢」は自分が思いついた言葉だと錯覚していたのです。指摘されて、朔太郎の詩を自分も読んでいたことに気付きました。
「蒼い梢」は、記憶が思い出させた言葉だったのでした。
まじめな女の子だったから、気まずい批評会になったのを覚えています。
 
ところで、今だったら、僕はちゃんとその女子部員を弁護してあげられると思います。
造語は別として、言葉には著作権などないはずだからです。
いいんだ。言葉は、誰の独占物でもないんだよ、と。
 
しかし、内心複雑なものもあります。
同じころ、実は僕も、多少意味合いの似た、そして多少意味合いの違う、苦い経験をしていたのです。
文芸部の年下の部員が、「峨影(がえい)」=俄影?我影?(もはや記憶が…とりあえず、この字だということで話を続けます)という言葉を見つけた話をしていて、それは「月」という意味だといってたと思います。もしかしたら、「月の影」といった意味だったかもしれません。彼女の話しぶりからして、その言葉が随分気に入っている様子でした。
その数日後、僕は音楽の授業を受けていました。東京芸大の若者を、何代か前の校長がスカウトしてきたという話題の先生の授業です。「地方都市にある県立高校だが、なんとしてもオーケストラを作りたい。援助は惜しまないから」と口説いて、
当時、オーケストラを持つ高校というのは、僕らの高校のほかにはないといわれていました。
その日の授業は、一年間音楽を学んだ総仕上げの意味で、各自で作曲するというもの。仕方なく僕も思いつくままに音符を並べて、いよいよそれに詩を乗せる段階になりました。
生まれてはじめて作った曲は幼稚なものでしたが、詩作には若者なりに自信もありましたから、凝りに凝りたいと腕を振るいました。
そして、静かで哲学的な夜の雰囲気を表現したその短い曲の出だしのフレーズに、僕は、あの「峨影」を使ったのです。
何気なく思い出して、なんともすわりがいい言葉だなと思って。
 
 ♪ 峨影 闇に溶けて 夜はどこへゆくのか……
 
いまだったら、言葉は誰のものでもないと堂々といえますが、その時は、ちょっと後ろめたい気持ちがありました。「峨影」は、それまで僕の語彙にはなかった言葉でしたから。僕の中では、それは彼女の言葉だという意識がぼんやりとありましたから。
少なくとも、彼女にとって大切な言葉であることだけは確かでしたから。
 
悪いこと? はできないもので、僕のその曲はひどく先生に気に入られてしまい、以後数年間、お手本として後輩たちに聴かされていたと聞きました。弟からも、「兄ちゃんの曲を聴いた」と教えられたのです。
彼女も、きっと、聴いてしまったでしょう。
わたしの「峨影」が、信じていた先輩に盗まれたと思ったかもしれません。
 
 
盗作かどうかは別として、いまでも僕は、あのとき、やっぱり別の言葉を使うべきだったと後悔しています。
いま辞書で調べてみましたが、「峨影」は、広辞苑にも、大言海にも掲載されていません。もしやと思いましたが、別字さえ見あたりません。Gooでも検索してみましたが、どうも該当なしです。
「峨影」は「我影」で、もしかしたら、ただ単に、月が映し出した自分の影という意味だったのかもしれません。
もしもそうなら、これはごく普通の言葉として、僕としても少しは救われる気がするのですが。
彼女の思い違いでなく、これがやはり、すたれゆく古典的な表現だったとしたら、それだけ誰の手垢も付いてないオリジナリティの高い言葉であり、それだけ彼女にとって大切なものだったといえるわけで、それだけ僕の罪は深いということになってしまいます。
やっぱり、いけない先輩です。
 
 

 
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