ボクは君からとれるだけのものを とったら     2000/06/16
   
 
笠岡で加川良のライブがあると教えられて、ちょっとだけ刺激的な気分です。
懐かしい曲のいくつかを、久しぶりに弾いてみようかなという気分になっても不思議はありません。
さて、どれどれ……と、本棚の一角を凝視して、何冊か引っぱり出してみた音楽関係の本の中に、《高田渡  加川良 吉田拓郎 作品集》というのが紛れ込んでいました。
一応はその名のとおり作品集であり、楽譜が掲載されているわけですが、なんとか少しでも売れる本にするための、涙ぐましい努力の跡もあるのです。
3人それぞれの個性的で味のある写真や、彼らに対する友人からの歯に衣着せぬ紹介記事。さらには、編集者が知恵を絞って作ったと思われるアンケート調査表と、それに対する、本人たちの笑える回答も載っています。
 
コンサートにいって加川良をナマで見たのは、あれはもうほとんど30年近く前のことであり、最近は一体どんな感じになっているのだろうと思い、インターネットで、いくつか関連のページをチェックしてみました。
30年前ならともかく、今はどうかなと思いながら「加川良」と入れ、検索。そしたらありましたよ。写真も何枚か見つけました。おお、これが最近の加川良か。
でも、別人でした。
見事に優しく太り、ちょび髭などたくわえ。
しかも、微笑んでさえいます。
これはちがいます。
頬のこけた精悍な顔だちの、一切の妥協を許さない人生の伝道師だった、あの加川良ではありません。
ま、いいんですけど。
誰だって歳をとるし、変わりますから。
昔は気むずかしそうで取っつきにくかったけど、なんとなく、話しやすそう。
 
万年床のベッドの下から、見たこともない奇怪な姿の虫が這いずり出してきていた遠い昔の下宿のことなど思い出しながら、ギターを抱えてページをパラパラ。
そうしたら、ひざの上に置いたその作品集の中に、加川良のことを岩井宏が紹介しているページがめくれました。
彼の奥さんが加川良のことを男らしい人だと気に入っていて、何かにつけて比較されて不愉快だなどとか、気分が乗ったらいっしょに演奏もするけど、生き方とか考え方は同じじゃないし、グループと見られるのは嫌だとか、いろいろ書いています。
友人のよい面だけを見て好きになり、嫌な面を見て嫌いになるというんじゃ失格で、要するに、友人の綺麗な部分と汚くて人間くさい部分と両方を頭に入れて付き合わなくてはダメだとか、また、自分にない物を持っている友人と付き合うと、自分の物にしたいと思うのは当然なことだとか。
そんな話の最後に、唐突に、高田渡の詩を引用しているのです。
 
もちろんこれは、高田渡一流の凄みのあるいいまわしで、そこにはもちろん、書かれた言葉そのままの意味もあり、同時にまた、逆説的な意味も含まれているのでしょうけど。
孫引きになりますが、高田渡詩集『個人的理由』より
 
<友達>
 
ボクは君から
とれるだけのものを とったら
 
冷酷かも知れんが
君を すてるよ !
いつまでも
なれあいの感情の確かめ合いは
したくないから
 
 
できることなら、とられても、とられても、まだ何かあるぞと、そう思わせ続けられる人間でありたい気分の、蒸し暑い梅雨の晴れ間に寄せて。
 
 

 
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