魔法の翼を手に入れてから、もう随分になりました。 昨日までは訪れたこともなかった全く縁のない土地に、まるで「どこでもドア」を抜けて訪れるように、今日もまた気まぐれにふらりと立ち寄り、ワクワクするような時間を手にしています。 世界が広がり、新しい出会いがあり。 そこには、戦友めいた濃密な付き合いもあれば、短期の宿泊研修で意気投合し名刺を交換するような、淡泊に見えてちょっと大切にしたい間柄もあります。 インターネットの歩き方はいろいろあるでしょう。でも、もしもそこで人間的なふれあいを求めるなら、気取った笑顔もひょうきんな仕草も見えない特殊な世界ですから、まず意識して自分というものを積極的に表現することからはじめたらいいと思います。 自分が先に裸になって見せることで、そこで初めて気を許し、脱いでくれる相手もいますから。 どんな人かわからないままでは、友達にはなれませんから。 僕がホームページを作ったのは、でも、そんな深謀な魂胆があってのことではありません。詩や雑文を本にまとめ自費出版したり、町の小さな画廊に1週間だけ絵を並べたりするよりも、この方がてっとりばやくて、しかも安上がりだったからです。 それが、結果的に予期しないふれあいを生み、そうか、これがインターネットなのかとますます深みにはまっていったのです。 まったくそれは、偶然の成りゆきだったにすぎません。 さほど多くはありませんが、人生相談のようなメールも何回か飛び込んできました。 こういうのは、相手の人生に間接的に立ち入ることになるわけで、しかも、相手の周囲の客観的な状況がほとんど見えてないわけですから、類推や思い違いに基づく不用意なアドバイスをしてしまわないように、細心の注意が必要だと自分に言い聞かせています。無責任なことはいえません。どうしても慎重になります。悩み疲れ、深く傷ついている相手の心を、つい軟らかいティッシュペーパーで包むようになってしまいがちです。そういう意味では、大して役に立っていないかもしれません。 ぱっくりと開いた傷口の奥まで踏み込んだ、もっと大胆な提案をすべきじゃないかと自問したこともありましたが、果たしてそうすることがいいのかどうか、本当のところは、僕にはわかりません。 ただ、愚痴を聞いてほしかったという人もいました。 そういわれてしまうとよけい切なくて、相談されてもいないのにお節介な長いメールを返してみたりして。 それが迷惑だったのか見当はずれだったのか、その人とはそれっきりです。まあ、よけいなお世話だったかもしれないけど、いくら食べても太らないこんにゃくゼリーみたいなものだと思って受け流し、許してもらうしかありません。 僕だって悩みを抱えているし、迷路の出口が見つからないときだってあります。 そんなとき、どうしたらいいのか。 もちろん、答なんかありません。飲めば一発で問題が解決できるような便利な特効薬があるなら、こっちが教えてほしいくらいです。 自分ひとりでは支えきれないほどのストレスがかかったら、重荷の一部を誰かにあずけるか、なんとか気分転換して、少しでも減らすことを考えるだけです。 そういえば、高校生時代は、試験の直前になると詩を書いたり油絵の道具を広げたりしていましたよ。 いまなら、一番の友達はなんといってもビールやプランディーですが、囲碁で盤上の戦いに没頭できているときやパソコンで遊んでいるときも、うまく気分が切り替わっているように思います。 それでもきついときは、特別な先輩やインターネット上での知り合いに、迷惑を承知で少しずつ分けて、肩に担いでもらうのも悪くありません。 ほら、こうして、いまだってストレスを発散させているのかも。 《こっそり雑文祭》へ飛ぶ |