囲碁キッズ諸君の明日のために(序章)    2003/08/10
 
 
 近年、囲碁に親しむ少年少女諸君が増えてきたそうです。
 退職された諸先輩たちも、小学校に教えに行っておられるらしい。
 
 ルールに始まり、石の生き死に、地の数え方など教わるのでしょう。
 そして、最終的に地の広い方が勝ち、だと。
 僕も、そう教わりました。
 間違いじゃないけど、おかげで、強くなるのにずいぶん遠回りしましたよ。
 囲碁が、将棋と同じく、実は戦いのゲームだったことに気付くまでに15年を費やしました。
 
 将棋の場合は、盤上が戦いだということはわかりやすいですよね。
 思考の種類としては、将棋の場合は直線的です。数学でいえば、代数に似ています。
 こう行けば、相手は当然こう来るから、取って取られて、その駒を取って…と。
 その点、囲碁の場合は幾何に似ています。碁盤の上に描かれていく模様を眺めつつ、視覚的な思考が入りますから。
 そこに落とし穴がありました。
 将棋の場合は、軍勢と軍勢が対峙し、殺るか殺られるかの戦いだということは、駒を動かしてみたらすぐに理解できます。そして、囲碁の場合は、広大無辺の宇宙とも比喩される盤上を眺めながら、どこに石を置けば相手よりも少しでも広いエリアが確保できるかと考えてしまうのです。
 だって、広く囲った方が勝ちだと教わりますから。
 
 
 本当は、囲碁も戦いのゲームだったのです。
 将棋の場合は、駒によって力量が異なります。囲碁の場合は、石1個の力は同じです。そこが違うだけなんです。軍勢対軍勢の戦であることに変わりはありません。
 囲碁の場合、一人ひとりの兵士の力量が同じということですから、兵士の数や陣形が戦いの趨勢を決めます。そういう、極めて戦略的なゲームなのです。
 
 基本的には、同じ石数で戦いますから、ただがむしゃらに攻めてばかりいると、手痛い反撃を食らいます。かといって、戦を避けて敵の主張に譲ってばかりいては、戦う以前に負けています。
 では、どうすればいいか。
 まずは陣形を整えることです。これを布石といいます。
 僕は、囲碁で難しいのは中盤だという気がしています。そして、囲碁の醍醐味も、この中盤にあります。つまり、布石から中盤に移る段階でいよいよ戦端が切って落とされるわけですが、大切なのは、ここです。くれぐれも、味方に有利な場所で戦いを起こさなければなりません。
 
 相手の広い模様に目を奪われ、早く敵の領土を削減しなければ…と、敵陣深くに飛び込んでいってはいけません。敵の陣形深くに兵を送るということは、当然のこと多勢に無勢、苦戦必至です。
 戦略的には、敵に侵略させることです。敵に飛び込ませて、これを迎え撃つ。その場合は、必ず兵力において優位にあります。その戦場に味方の石数が多ければ、よもや、戦に遅れをとることはありません。一方的に攻撃することが可能です。そういう戦略が、囲碁キッズ諸君の碁を勝勢へと導きます。そのことを、しっかりと頭に置いて戦ってください。
 攻めて攻めて、攻め抜いても、初めのうちはその攻撃が戦果(地)に結びつかず、姑息にチマチマと地を囲う女々しい大人たち相手に負けるかもしれないけど、そんなことは気にしないことです。そんな大人たちは、もうそれ以上には上達しない人たちなんだから。負けても負けても、迷わず、戦うことです。慣れるに連れ、必ず無敵の男に成長していきますから。
 しっかりトレーニングを積んで、パンチに磨きをかけたらいいのです。
  
 
 しかし、いいなあ。
 君たちには、時間がある。
 
 
 

 
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