ヴィトゲンシュタインはこういいます。 哲学的なことがらについて書かれてきた命題や問いの多くは、誤りではない。ナンセンスなのだ。 したがって、われわれはこの種の問いにおよそ答えるすべを知らず、ただそのナンセンスであることを立証することができるにすぎぬ。 まさに、世の中には、禅問答のような言葉遊びが氾濫しすぎています。 形而上学的なことがらを語ろうとすることの無意味さに、僕らは実は薄々気付いていますが、それでもなお、つい口走ってしまうのはなぜでしょうか。 人はなぜ生きるのか。 別に、哲学を振り回していい気になりたいわけでもなく、難解なロジックで誰かを煙に巻こうとしているわけでもなく。ナンセンスとわかっていて、あえて。 人はなぜ生きるのか。 しぼり出されたその問いかけは、死に瀕したボヘミアンのうめき声のように心に響きます。幸せを謳歌している人には無縁の言葉。 僕は祈るしかありません。 大丈夫だ。 負けるな、頑張れと。 解のない命題に対しては、沈黙するしかありません。 |