人はなぜ生きるのか    2004/01/23
 
 
 ヴィトゲンシュタインはこういいます。
 
 哲学的なことがらについて書かれてきた命題や問いの多くは、誤りではない。ナンセンスなのだ。
 したがって、われわれはこの種の問いにおよそ答えるすべを知らず、ただそのナンセンスであることを立証することができるにすぎぬ。
 
 
 まさに、世の中には、禅問答のような言葉遊びが氾濫しすぎています。
 形而上学的なことがらを語ろうとすることの無意味さに、僕らは実は薄々気付いていますが、それでもなお、つい口走ってしまうのはなぜでしょうか。
 人はなぜ生きるのか。
 別に、哲学を振り回していい気になりたいわけでもなく、難解なロジックで誰かを煙に巻こうとしているわけでもなく。ナンセンスとわかっていて、あえて。
 
 人はなぜ生きるのか。
 しぼり出されたその問いかけは、死に瀕したボヘミアンのうめき声のように心に響きます。幸せを謳歌している人には無縁の言葉。
 
 僕は祈るしかありません。
 大丈夫だ。
 負けるな、頑張れと。
 解のない命題に対しては、沈黙するしかありません。
 
 
 

 
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