三年目はピエロのように    2003/11/15
 
 
 つい先日、サイモンとガーファンクル再結成のニュースを耳にして、学生時代 に観た映画「卒業」を思い出しました。あの時は、物語が終わった後も立ち去り がたく、痺れたようにシートに腰を沈めたまま、2回続けて観てしまいました。 その2回目の上映で、最初の時には気付かなかった一枚の絵に目がとまりました 。それは、階段にさりげなく掛けられていたピエロの絵。心の内側を隠してひと りたたずむピエロの姿が、主人公の青年ダスティンホフマンの、繊細で不安定な 魂を象徴しているように感じました。
 
 サーカスには必ずピエロがいて、思わず息を呑むような技と技の間に顔を出し ては、いつもおどけてみせていますよね。そんな彼らが、テント裏などで静かに 休んでいる姿などを見ると、それだけで意味ありげに思え、哲学者の風情さえ感 じてしまいます。
 
 子供のころ、家族でサーカスに行ったときのピエロは、まるで手品師みたいで した。その時に見たピエロは、いくつもいくつも、ピンポン球を口から吐きだし てみせていました。自分で自分の後ろ頭を叩いて、その度に、ポコッと口を開き ピンポン球を出します。不思議に思いました。
 探偵小説を読むのが好きで、時には見知らぬ大人たちを尾行もしていた変わり 者の少年は、考え込みました。そうか、あれはピン球をあらかじめお腹に飲み込 んでいて、頭を叩くたびにそれを吐き出しているんだ。きっとそうに違いない。 陽気に笑い転げている大人たちの横で、少年探偵団気分で、内心そうだと思い込 んでいたわけです。
 そして、この人は、一体いくつお腹に飲み込んでいるのだろう。でもそれにし ても、もうそろそろ無くなるぞ、と必死になって見つめていました。
 
 はたして、自信に満ちあふれた少年の推理は、ピエロが退場するときに、木っ 端微塵に打ち砕かれました。立ち去り際に、ピエロは種明かしをしてテント全体 を笑いの渦に包むのです。なんと彼の頭の後ろには、針金で竹籠が取り付けてあ り、そこにたくさんのピンポン球が隠されていたのです。
 考えてみると、ピエロは、優しくて、哀しくて、それでいて陽気です。まるで深い森の老木のように、喜びも悩みも、まるで人生のすべてを知り抜いているようです。
 
 多分、真実はそうではありません。実際には、彼らもひとつの職業として道化 を演じているだけなのでしょう。ピエロのコンテストでもあれば、その大会では 何としても優勝したいと、そんな俗っぽい心境にもなるのかも知れません。
 だけど…。
 
 僕らが就職したり、担当の仕事が変わったりしたとき、最初の1年目は、これ はまあ、いわば力を蓄える、勉強の時期に相当すると思います。もちろん仕事も するでしょうが、働きぶりはどうしたって未熟で、学ぶことの方が多いはずです 。ロールプレイイングゲームでいうと、経験値を高める時間帯です。道具屋にも 寄っておかねばなりません。
 2年目は、もう、そうはいきません。いよいよ真価を発揮すべきときでしょう 。
 そして、3年目は、ますます得意になって腕をふるうだけでいいのか、という ことです。僕は、それだけでは不十分だと思うのです。3年目ともなると、でき たらピエロのようにふるまいたいのです。この世の真実の全てを見とおした、優しくて哀しい瞳のピエロのように。
 そして、その心境に至ったとき、人は子供を卒業して大人になるのかも知れま せん。
 
 
 
 この文章は、第6回雑文祭に参加しています。

 
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