笠岡の「カフェ・ド・萌」には、その昔アングラフォークと呼ばれていた人たちが歌いにやってきます。 というわけで、昨夜は中川イサトさんの夜。 彼は学年でいうと、どうやら僕よりふたつお兄さんのようです。彼は「西岡たかしと五つの赤い風船」のアマチュア時代から、ギタリストとして参加していて、風船の岡山市民会館コンサートでも生で見ましたが、昨夜は、そのころのイメージとは隔世の感がありました。 みんな変化していくわけで、印象が変わって見えるのは別に不思議でもなんでもないわけですが、彼の場合は、多少意味合いが違うのです。 僕の中では、これまでは彼は常に主役ではなく陰の人でした。風船でもそうだし、フォークシンガーたちのレコーディングのサポートや、ステージで主役のバックでギターを弾いたりと。 風船を抜けた後、ひとりでギターを弾きながら歌ってた時期があるとのことでしたが、それは初耳でした。多分、僕にとっては、「あれ、最近中川イサトさん、見ないなあ」みたいなことだったのでしょう。 斎藤哲夫氏の話で、心の準備は出来ていましたとも。 「中川イサトが歌いはじめた」 あのね、ビックリ仰天、です。 彼は低い声で、フォークシンガーには珍しく声量もあり、渋いのです。 渋いと感じるのは、声だけが原因ではありませんよ。 フォークをやる人というのは、どこかシニカルな部分があるものなのです。ともすれば物事を風刺したがるし、その話をした後で皮肉な笑いを浮かべたりして。僕もそういうところがあることを否定しませんが。僕らが歩いてきた世の中というか、時代の中で普通に生きてくると、どうしてもベクトルがそっちに向かってしまう気がします。 でもね、中川イサトさんからは、そういう陰を感じませんでした。 拓郎みたいに格好付けたところがないし、気取りが感じられません。数日前に、岡山のライブハウス「MO:GLA」に来た加川良が、前座時代の思い出話の中で、「絶対、主役を食ってやるぞ、と思って頑張ってた時代だった」と告白してたけど、そういう屈折した意気込みのようなものもなく、シンプルにまっすぐです。 なにより声が低くて厚みがあって、渋い。陽水の声も艶があって聴かせますが、陽水の場合は「女性が泣くような声」です。イサトさんの場合は何に喩えたらいいのかと考えて、見つけましたよ。 裕次郎。フォーク版、石原裕次郎。 来年の夏前には、全曲、歌の、アルバムを出すそうです。 彼に対する僕の興味は、当然ながら彼のギターテクニックでした。少しでも盗める部分はないかと思い、あさましい企みを抱いて出掛けた次第です。そして、首尾よくだいぶ盗みましたよ。盗みましたが、帰りの冬の夜道でカーチェイスを繰り返してるうちに、按配よくすっかり忘れてしまいました。ギターは、僕の場合、いまのレベルで年貢を納めたほうがいいのかもしれません。満足したらおしまいですが、「足るを知る」年齢的な潮時というものだってあるでしょうから。 彼のギターは昨夜はマーチンで、太い音を出していました。ギターの弟子の岸部眞明氏とのセッションでは、岸部氏がライトゲージっぽい音で煌びやかで華麗なテクニックを披露しているのにかぶせて、それとは全く対照的なイサトさんの無骨でヘビーな音が効果的で、たまらない魅力を醸し出していました。 昨夜のセッションではジャズのスタンダードナンバーも何曲かあって、それが少し新鮮でした。そういえば西岡たかしも元々はジャズ畑の人で、若いころから音楽的に多彩で、フォークの黎明期はみんながみんな伝道師ばかりでギターをちゃんと弾ける人がほとんどいない状況でしたから、多くの人のレコードには演奏者やアレンジャーの欄に西岡たかしの名前がありましたよ。 僕は実は、中川イサトさんについては、五つの赤い風船でギターを弾いていた人という以外はほとんど何も知りませんでしたが、もしかしたら、西岡たかしから、少なからず影響を受けたのかななどと思いながら聴いていました。 もちろんイサトさんも、岡林信康や泉谷しげるのレコード録音にバックアップメンバーで参加してますが、僕の中では、西岡たかしの陰に沈んでいた印象が強い人でした。 大げさに言えば、遥かな時を超えて再び出会った男は、年輪を重ね、輝きを放ちはじめていた。 そういう印象でしたよ。 僕にとっては、中川イサトさんは、たっぷり30年ぶりですから。「男子3日会わざれば刮目して見よ」といいます。男は3日で変身する可能性があるのに、30年ですから。 はっきりいって、別人でしたね。 魅力的でした。 ああいうふうな男になりたいと思ったけど、手遅れかな。 |