飛行機が嫌いです。 生まれて以来つとめて逃げ回り、避けてきましたが、仕事で旅程の都合上やむをえず2回、家族旅行で2回(これは北海道への往復。パック旅行だったのでやむなく)搭乗しただけです。 そんな僕ですから、意気揚々とスペースシャトルに乗り込んでいく人たちの気が知れません。天使の顔でも見てやろうというのでしょうかね。(もちろん、彼らは素晴らしい) そういえば、加藤和彦の曲に「アーサー博士の人力ヒコーキ」というのがあります。 ♪ みんながそろった日曜日 ドクター・アーサーおじぎして 翼をはたはたはためかせ 結局飛んだよ1センチ‥‥ 飛行機は苦手ですが、こういうのは平気です。僕だってチャレンジしてみたい。飛ぶったって、たった1センチのことですから。されど、その1センチに価値を感じてしまうわけです。あえて安っぽくいえば、そこがロマンですから。 空への憧憬だってあります。むしろ、飽くなき憧れといっていいでしょう。 ポール・サイモンよろしくギターを抱えて「コンドルが飛んでいく」を歌うときなどは、大空に舞う巨大な支配者を必ず心に思い描いています。コンドルさながらに絶壁の頂きに立ち、上昇気流を掴んで‥‥、あ、夢の中での話ですが‥‥ゆったりと飛翔したことだって数えきれません。 ♪ 空を飛ぶのは鳥に羽があるから ただそれだけのこと 足があるのに歩かない俺には 羽も生えやしない‥‥ これは吉田拓郎の「イメージの詩(うた)」という長い長い歌詞が続く曲の一節です。いうまでもなく、夢見てばかりで自分では何も行動を起こそうとしない人は哀しい人だと思います。お気の毒な人でしょう。 では、何かを求めて、それが何かもわからないまま行動している人は、一体どうだというのでしょう。いま進んでいる道は、歩いている方向は間違いないのかという疑問に対しては、誰が答えてくれるのでしょうか。 ♪ 空に浮かぶ鳥も 流れる雲も そしらぬ顔して 答えてはくれない‥‥(拙作 Rowlling Boy) 少しばかり自由な時間を手にし、気ままにごそごそ夢中になってやってますが、いつか満足できる日が来るのでしょうか。 アーサー博士みたいに、1センチでも飛べるかな。 ここに来て告白すると、実は、加藤和彦は多分そういう趣旨でこの「アーサー博士の人力ヒコーキ」を書いたのではありません。 みんなアーサー博士みたいに苦労してあくせく頑張ってるけど、結局は、たかだか1センチ飛ぶだけのこと。 そんなばかげた苦労なんてやめなよ、もっと気楽にいこうよ、「気楽に暮らせばいいんだよ」と、実は、そう歌っているのです。 でも、僕は加藤和彦には悪いけど、アーサー博士の方にどうしようもなく惹かれるのです。 みんなはどっちなんだろう。 |