アマチュアの気功法     2000/09/22
 
 
太極拳は呼吸法を抜きにしては語れません。
そして、太極拳には非常に多くの形(かた)があり、さらにそれらの組み合わせ方が、流派によっても異なっていました。
そうした多様な形の組み合わせを、放送太極拳(日本のラジオ体操のようなもの)という形で統一することによって、特定の武道の世界だけでなく、中国全土で広く一般の人たちに親しまれるようにもなりました。
ごく普通の人たちが、健康づくりのために公園などに集まり、たしなむ、あの見慣れた風景というものは、放送太極拳が作られたことがきっかけとなったともいわれています。
要するに、日本のラジオ体操だと。
 
気功の場合も、太極拳同様に武術としての一面もあって、そういう意味では、呼吸法が深く関係しているといわれています。
でも、呼吸法は意識しなくていいと書いてある本もあります。
心静かに、普通に呼吸してたらそれでいいと。
呼吸法というのは、それ自体は特別難解な技術でもなく、そんなにむずかしいとは思いませんが、慣れていないと、呼吸法を意識した分だけ集中できない意味はあります。
だから、普通に呼吸してたらいいという教えには惹かれるものがあります。
達人の境地を目指して修行を積んでいるような人は別として、そこら辺のアマチュアレベルの人なら、それでいいということなのでしょうか。
心の底からは納得できませんが、でもまあ、僕としては、自分の体験から、この考え方に従います。
 
では、そもそも「気」とはどんなものなのでしょうか。
ものの本には、どうも、人間の身体には血液と同じように、「気」の流れが全身を巡っていると書いてあります。
この流れが悪くなると病気になる。
だから、この流れをよくしてやると健康になると。
血液だけでなく、「気」も健康を左右する重要なファクターだというわけです。
しかし、いくら本にそう書いてあっても、よくわかりません。
「気」は見えないし、実感もできません。
 
では、試しに「気」を感じてみましょう。
まず、食事の前の「いただきます」の形をとります。
その形のまま、手のひらの間を、ほんの少しだけ開いてみてください。
そのまま両方の手のひらに神経を集中してみて。
なんとなく、何かを感じたような気がしたら、両手のひらの間隔を、少し広げたり狭めたりしてみてください。
その時、手のひらの感覚に変化があれば、それは「気」を感じているのかもしれません。
僕だって、最初は半信半疑でした。
 
あ、そこの、キョトンとしてる人。
何も感じませんか。
それなら、両手をあわせ、何回かすりあわせてみてください。
僕の場合、両手を顔の頬に当てたあと、何回か手をすりあわせると気が強くなります。
手を顔に当てるなんて僕が勝手にやってるだけで、聞いたことがありませんが、本によっては、「両手を36回すりあわせなさい」と書いてあるものもありました。
要するに、ひとしきり両手をすりあわせたあと、そのまま「いただきます」の形から、ジワッと間隔をとってみてください。
じわじわと、微妙に、手のひらに何かを感じませんか。
 
いま感じることが出来なくても、明日、また試してみてください。
気持ちを手のひらに集中して、間隔を、少しだけ、広げたり狭めたりしながら。
もし首尾良く感じるようになったら、この距離を少しずつ広げていきます。
ゆったりと広げたり狭めたりを繰り返しながら、両手の間を広げていくのです。
もし広げすぎて手に感覚がなくなったら、また少し戻す感じで。
両手の間にあるこの見えない何かを、10〜20cm位の間隔で揉んだり、最後には両手を肩の幅に広げたりしながら、手に受ける感覚の違いを感じたり。
これを「気を練る」といいます。
そして、これがトレーニング法でもあります。
気を練ると、気が強くなり、免疫力も高まると解説書はいいます。
本当なら、すばらしい。
もちろん本に書いてあるだけで、僕には真偽のほどまでは断言できませんけど。
 
気が出ているのか、ただ手のひらの皮膚が過敏になっているだけなのか調べる方法があります。
手を動かしているから、空気の層にもふれるし、また、手のひらの移動に伴って、体液が慣性の法則に従い、そのために何か感じているのかなと思ったりしたこともありましたから。
そういうときは、僕は片方の手だけを動かしてみました。
それで、反対側の静止している方の手のひらが何か感じるようなら、それは本物だと思うのです。
この感じかとわかって続けていたら、次第に粘っこい感じになっていきます。
まあ、ドラゴンボールのカメハメ波でも思いだし、あれをイメージして気を練ってみてください。あんなに強くなるとは到底思えませんけど。
それでも、最初ははかすかな感じだったものが、次第に、明確な感覚に変わっていくとワクワクしてきますよ。
何かの役に立つかどうかは別として、やってみて楽しい。
 
最近、妻の身体に湿疹が出て、色々薬を試してアトピーみたいなひどい感じになっていて、それで、僕が気を当ててみようかということになりました。
やってると、「気を当てている部分が温かい感じで、気持ちがいい」といいます。
「今日は弱い」ということもあります。
そのせいなのか、そろそろ治るころだったのか、おかげさまで良くなってきました。
でも、病気に強い身体になりたいなら、受けるだけでなく妻自身も気を練った方がいいと思いすすめました。
時々やってみてるようですが、僕が気を当てているときはそれがわかるようですが、自分でいただきますのポーズから手を閉じたり開いたりしてみても、何も感じないといいます。
まあ、根気よく続けてたら、そのうちわかるんじゃないかなと思っていますが。
 
ただ、生兵法は大けがの元ともいいます。
昔読んだ気功の本には、気功を使う人が身体を悪くしたという話が出ていました。
気を放出するばかりでは、自分の体調を崩すと。
自然から、大地から、気を取り込みながら出さねばならないと。
手のひらを上に向け、宇宙の気を受けるのだとも。
気を取り込みながら、出す。
要するに、「気は循環させなければならない」というのです。
 
そうはいうけれど、専門家が現実に気を当てているシーンを見ると、その瞬間は、気を循環させているというよりも、照射しているだけのように見えました。
中国で、西洋医学の医師と東洋医学の医師と気功の医師との3人が協力して、国立の医療施設のようなところでガン治療に当たっている特集をテレビで見たとき(20年くらい前かな)も、日本のどこかの医大が中国の気功の大家を招いて、X線とは異なり、「気」が鉛の板をも通して患者の背中に照射されている実験を行ったのをテレビで見たとき(こっちはほんの数年前)も。
施術師は、その瞬間は、一心に気を出しているだけのように見えました。
ただ、気功の達人たちの、心の中まではのぞけません。
気を照射している最中の、気持ちの持ち方に、何かコツがあるのかどうか。
そのあたりが、いまもってよくわからないのですが、「気を循環させる」とは、どうもイメージの世界の話のようでもありました。
気を出したあとに気を取り込むということなら、結果として、休養をとりながらということなのでしょうか。
気を取り入れてることをイメージしながら、同時に並行して気を出して差し支えないのか。
わかりませんけど。
そういえば、仏像。
あのポーズは、気功で気を出しているところなのでしょうか。
片手をかざし、片手は、宇宙の気を受けているように見えなくもない。
ということは、やはり、同時進行で循環させているのか。
 
自然の気を取り込むといえば、数年前に読んだ修験道の本には、「自然の中の窪みに気がたまっている」と書いてありました。
洞窟などはその最たるもので、行者は、たまったその自然の気を取り込むために洞窟で瞑想したのだとか。
 
ともあれ、僕も体験的素人でしかありません。
生兵法は大けがの元ですが、自分でひたすら気を練っている分にはなんの弊害もありません。多分……。
それに、何となく健康になれそうな感じじゃないですか。
興味がある方は、ぜひ一度試してみてください。
もし質問があるなら、(ないでしょうけど)どうせならメールでなく、掲示板(辞世の歌の部屋)の方にお願いします。
ひとりでも多くの人の参考になるように。
どうしてもそれじゃ困るという人は、メールでもいいけど。
気が練れて、強くなっていくのを自覚できてくると、それはそれで楽しいものです。
 
 

 
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