こおろぎ     1999/09/18
 
 
悪いけど、僕は、虫なんかには関心がない少年だったような気がします。
本当は、みんなだって興味などないにちがいないとも思っていました。
どうして、まわりの人たちは、あんな風に嘘を付くのだろう。
芸術家ぶるというのとも違うような感じだし。
不思議だなあ、と。
 
もしかしたら、これは文部省唱歌の呪縛なのか。
確か、スズムシがどうの、あれ松虫がどうの、というのがありましたよ。
僕らは、見たこともないガチャガチャなどという虫の音をまねて、教えられるままに声をそろえて歌わされたものです。
チンチロ、チンチロ、チンチロリン、などと鳴く虫がいるわけないと腹では思っても、しかし、とりたてて抗議しようという気にもならず、要するにどうでもいいことだった時代。
 
若い人で、実はこの人は僕のパソコン初心者時代のお師匠さまだったりするのですが、その人があるとき、かつて自分がいじめられっ子だったことを告白し、こういうのが好きなんだと聴かせてくれたのが環境音楽でした。
そのときは、谷川のせせらぎがどうのと熱心に説明されても、悪いけど、僕はお金を出してまでは買わないなと思いましたよ。
風が、さわさわと林を渡っていく音なんて、ね。
いいなあとは思うけど、それは自然の中でのふれあい。
人生の中の一瞬、生きている本物の空間との出会いなればこそでしょう。
テープに録音して、音だけで聴いてもねえ、と。
 
最近になって、ふたりの子供が、長男は神戸で声優を目指し、長女は広島県の地方都市でステージ企画みたいな道に進み、まがりなりにも自立した雰囲気になってくると、なぜか、急に僕自身の気が弱くなってしまいました。
もちろん、声優といってもまだアルバイトをしながら大阪の学校で勉強している段階だったり、音響や照明をやるといっても社会保険もない個人経営だったりして、親として安心してしまえる状態ではありません。
 
僕自身、人生の大きな曲がり角に何回か立ち、自分なりに考え、決断し、ふるさとも捨て、ずいぶん遠くまで歩いてきたつもりでいました。
それが、最近になって、僕はもしかしたら勘違いしてたのかなと思っています。
いろんなシーンで、かつてのパワフルな感じが失われている自分に気付いてしまうのです。
なんてざまだ。これまで、何をしていたのだろう。
休日、たまに妻とふたりで山道に足を踏み入れることがあります。身の程をわきまえ、素人用に整備されたコースがほとんどですが、ときには渓流沿いの脇道にもそれたりして、途中で予期せぬ滝などに出会うと、何とも清々しく、おもわず胸一杯に辺りの空気を吸い込んでいる自分がいたりします。
そんなとき、ふと思ったりしますよ。
ああ、これがコオロギなのか、と。
 
 
                                 ムッシュ
 
 


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