あらためて、詩は、言葉を使った絵だと強く思います。 自分で作る参考にしたいなら、しっかり近付いて隅から隅まで凝視するのもいいけど、鑑賞するだけなら、少し離れた位置からゆったりと眺めることを勧めます。 少しずつ、心象風景が見えてくるかもしれません。 詩の場合、言葉が絵の具です。 絵の具はそれ自体に色がありますが、その色は必ずしも絶対的ではありません。 置かれた状況によって、千変万化します。 くすんだイエローオーカーが、薄闇の中では、実は渋い金色の光を放つのです。 絵の具がそうであるように、言葉もまた隣り合うものとの対比の中で、置かれた状況によって、様々に印象を変化させます。 それが詩を創作する醍醐味でもあります。 そして人間も、絵の具や言葉と似ているかもしれません。 同じ人物なのに、立つ場所によって、別人のように映ることがありますから。 不躾に近付いて激しく抱き合ってみるのもいいけど、少し離れた位置からゆったりと眺めているのも悪くありません。 傷つけあいながらお互いの錯覚に気付く悲しい幕切れが嫌なら、意識して少し距離を置いてみたらいい。 相手の心に踏み込みすぎないで、寄り添うように時間を共有してはじめて見えてくる心象風景というものもあるでしょう。 でも、だからといって、普段気付かなかった精神世界の一端に触れたからといって、それでふたりが心から分かりあえているということにはなりません。 人間はもっともっと複雑怪奇だし、若い恋人たちも熟成した夫婦も、ともに、パートナーの中には自分にとって都合のいい幻影を見ている傾向があるからです。 愛しているのは、自分たちが勝手に作り上げた幻なのかもしれません。 絵や詩は自由に創作できます。 しかし現実は、悲しいほどに、いつも冷厳です。 かくして、また新しい年がスタートします。 ああ…! |