草野球の思い出  2013/03/05
 
 
年をとると、何かのキーワードによって、遠く忘れ去られていた記憶が、唐突に、まるで亡霊のように蘇ってきます。
インターネット上の誰かの呟きに対するレスとして、懐かしく頭の中でまとめていると、亡霊はどんどん巨大化していって、短い文字制限の中では到底治まりそうもありません。
なので、ちょっくら稿を起こして書いてみました。
その拙文の転載です。
 
僕はスポーツは手当たり次第にかじりましたが、どうやら団体競技には馴染めない性格のようでした。
ただ野球だけは、付かず離れず。
小学生のとき既に、なぜか子供用のグラブとキャッチャーミットをプレゼントされていて。
とはいえ、中学でも高校でも、野球部なるものは僕の居場所とは思えず。
気が向けば、街のバッティングセンターでバットを振り。
 
就職して、たまたま所属した課に野球部があり。
2年くらい様子を見たあとで入部。
入ってみると、僕は守備こそ下手ですがなかなかに好打者で。
年間の打率も0.275だったりして。
弱小チームだっただけに、当時は、だから勝ちにこだわり。
頭でっかちの頭脳派捕手?
僕は打順が1番のことが多く、首尾よく僕が1塁に出ると得点のチャンスなのですが。
当時不動の4番、高校野球部時代に「平松の球をファールしたことがある」と豪語する男は、打率も抜群なのですが、よく歩くのでした。
彼が4球で歩いては、得点の可能性は激減してしまいます。
「あんたが、少々ボールでも打ってくれんと、点が入らんがぁ」
そう、不満を口にすると、
「そういわれても、ボールは振れん」
 
そのあと、人事異動で2年間、ある町役場に派遣されていました。
そこの野球部は、送りバントをしないのです。
彼らとは、それまでに対戦したこともありました。
「エースには投げさせない」という条件で。(^_^)
みんな昔からやってたと見受けられ、強いと評判だったのです。
一緒に仕事をするようになり、監督をしていた男に、どうしてバントをしないのかを質すと、
「打つ方が面白れぇじゃろ?」
彼らは、楽しい野球をしたいのでした。
要するに、楽しみたい。
誰も、誰の犠牲にもならない、やって楽しい、負けても悔いのない野球。
 
僕は彼らから「○○県」と呼ばれ、仲良しで、試合のときはよく応援に行ってました。
試合が終わったあとの打ち上げに参加するのが楽しかったからでもありましたが。
そんなある日、対戦相手の投手が凄くて。
とにかく球が速く、誰も、バットにかすりもしません。
すると、ビックリ。
バントなんかやっても、おもしろうないじゃろう? といった男が、突然のセーフティーバント。
意表をついて見事に1塁に生きて。
次も、その次のバッターも、次々にバント戦術です。
ベンチは、やんややんや。
笑顔満載で、もう大盛り上がりです。
相手の剛球投手は、意外にもバント処理がヘタで、足はもつれ、すっかり調子を崩して。
 
バントは楽しくないといったけど、かすりもしないなら、振っても楽しくなかったのでしょうね。
彼らはみんな、楽しそうにバントをしていました。
むざむざ負けては、楽しいはずがありません。
やるときゃ、やるんですね。
なんか、草野球の真髄を見せられたような気がした、そんな時間を過ごしたことがありましたよ。
昔こっぷり。
 
 
 

 
前の話へ戻る 次の話へ進む
 
【夢酒庵】に戻る

【MONSIEURの気ままな部屋】に戻る