結婚して、家族を守るために生命保険に入って。 当時は高度成長期で、毎年どんどん給料が上がって。 当然貨幣価値も急激に低下していくから保険金を見直す必要を感じ、契約を変更するときのことでした。 保険屋さんに、入院保障をはずしてもらったのでした。 医療費の自己負担分は、共済だか互助会だかから、あとで戻ってきていたからです。 だから、そこにまで保険をかける必要を感じませんでしたから。 そんなことを要求する人はいないものだから、保険屋のおばさんは激しく抵抗を示しましたが、よく勉強してくださいと無理を言って、やってもらったのでした。 その3年後くらいでしたか。 手ごわい病が発覚し、9カ月の入院。 当時は不治の病とされていた、慢性B型肝炎です。 おそらくは、小学生時代の学校での予防注射のまわし打ちが原因。 治るわけじゃないから、入院時には、「症状を鎮める治療をします」と説明されて。 ところが主治医は、大学の研究室から様々な治験薬を持ってきて、なんとか治そうと試行錯誤してくれているのがわかりました。 かくして、入院9カ月です。 退院時には、「3カ月くらいしたらまた入院するようになると思うよ」との不吉な予言を頂いて、実際そのとおりになって。 以後、入退院を繰り返しながら、主治医と二人三脚で悪戦苦闘しました。 その結果、10年ほどかけてめでたく完治したのでした。 そのとき思ったことは、生命保険のことでした。 入院保障を、もしはずしてなかったら! 正確な回数はもう忘れましたが、7回くらい? 断続的に入院して、通算では、1年をはるかに超えていたはずですから。 その額や、数百万円?! そのことは僕の人生にとって痛恨の大失敗として、なにかにつけ思い出され、繰り返し、悔やんだことでした。 ところがどっこい、です。 交通事故相談員を務めていたとき、わかったことがありました。 保険が絡んでいる場合、保険屋さんは、僕みたいなケースでは、まちがいなく医師に退院させるよう迫ります。 それに対して、医師は合理的な抵抗手段がありません。 なぜなら、完治するあてのない病の場合、治験薬による治療など「勝手な振る舞い」でしかないわけですから。 9カ月の入院でいえば、最初の3カ月。 とりあえずの症状を鎮めた段階で、治療は終わりです。 誰もが合理的と認める治療はそこまでですから。 保険屋さんは、主治医に患者を退院させるように求めます。 新しい治療法開発のためなんかに入院を続けられたら、保険屋さんは困ります。 つまり、入院保障をはずしていたからこそ、心置きなく治験に専念できたのでした。 無駄に終わる可能性の高い、未開の領域を、思う存分にさまよう自由を得た意味がありました。 もっといえば、慢性B型肝炎を得て、当時は何たることかと思いました。 憧れる人の多い花形職場で、僕はリーダーで、みんなから評価され得意の絶頂で。 そこから、急転直下の地獄に突き落とされた気分でしたよ。 でも、それすら、幸運だったと思えるのです。 あのままだと、僕の鼻はピノキオも驚くぐらい高く伸びていたかも知れません。 間違いなく、鼻持ちならない嫌な男になっていたことでしょう。 病を得たおかげで、多くのことを学ぶことが出来ました。 まさに運命のいたずらと、いまになって、心からそう思います。 |